聖書黙想“3分の奇跡” 2020年11月11日水曜日

2020年11月11日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

タイトル : 聖霊の実 1 _ 愛 1

 

[ガラテヤ5:22~23]

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。


私たちが子供たちに信仰の手本になり、信仰の遺産を残してあげて、近くの人たちから尊敬されるためにはどうやって生きていけばいいでしょうか。

聖霊充満でなければなりません。聖霊充満は聖霊の実として現れます。

 

今日は私たちが結ぶべき最初の聖霊の実「愛」について黙想したいと思います。
https:/youtu.benOSYgluatuE
[3分の奇跡] 聖霊の実シリーズ_愛1

 

♥ある家庭で幼い子供が遊んでいて誤って部屋の床に置いたコップを割りました。
これを見たお母さんが、「あなたは目もないの?」とひどく子供を叱りました。
それを横で見たお父さんは「いや、あなたは今までそれを片付けていなかったの?」と妻に怒りました。
姑がその光景を見てうるさいと言って、嫁の普段の怠け者を咎めました。
割れたコップのかけらに足を突かれた子供は、大人たちが大声で怒ってけんかすると、恐ろしさのあまり泣き崩れました。
その日の夕方その家庭ではガラスコップ一つのゆえに大きな争いが生じました。

 

一方、その隣の家でも子どもが部屋の床に置いたお皿を間違えて割りました。
これを見た子のお母さんとお父さんとおばあさんは、いっぺんに子供に駆けつけ、けがしたのではないかと見てあげました。
母はすぐに割れた皿のかけらを片付け始め、祖母がそばで注意深く言いました。
「子供がけがをしなかったから幸いだ。この年寄りが家でぶらぶらしながらも部屋の床に歩き回る皿一つ片づけられなくてすまないね。」
この言葉に嫁は恐縮して言いました。
「いいえ、お母さん、私が怠けたせいで、つい、ごめんなさい。」
すると父が頭を掻きながら言いました。
「私のせいです。お餅をおいしく食べた私が当然片付けなければならなかったのに。私がやらなくてこんな事が起こりましたね。」
お皿を割った子は「いいえ、私が気をつけなければならなかったのに…、これから気をつけます。申し訳ありません。」と言って申し訳なさそうでした。
その日の夕方、この家庭では笑い声が溢れました。🌱

 

皆さんの家庭にこのようなことが起こったなら、どのような風景が起こるでしょうか。

 

お互いの過ちや間違いを非難する雰囲気ですか。それともお互いの過ちを愛で覆い隠す和やかな雰囲気ですか。

 

私たちが一番良いブドウの木であるイエス様に付いている枝として私たちが結ばなければならない一番良い実。

 

最初の聖霊の実は「愛」です。

神様は愛です。

 

[第一ヨハネ3:23]

神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。


神様はお互いに愛しなさいと命じるだけでなく愛する心を起こして愛する力を注いでくださいます。
私たちの中が聖霊で満たされると、聖霊は私たちに愛を実践する力を注いでくださり、神の愛を人生の中から現わします。

そして愛を実践する現場の中で神様が臨み、人が実践するその愛を神様の愛にしていきます。
神様の愛が豊かなところは、この地で楽しむ小さな天国です。

 

[第一コリント13:1~3]ではこう言います。
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。


聖書はすべて、言葉と行動、仕えることと伝道、奉仕、教え、救済など、すべてを愛でするようにと語ります。愛がなければ何の有益もないと語ります。

 

皆さんはどれだけ愛を施して生きていらっしゃいますか。

 

私の家族とお子さんたちを愛していますが、言葉と日常生活で愛を表現しながら生きていますか。


私に害を加えた人、裏切った人、傷つけた人、敵までも愛することができるでしょうか。

到底愛することができない人でさえ神様は愛するようにと語ります。


神様は良い隣人、やさしい隣人、私によくしてくれる隣人だけを愛しなさいとおっしゃいませんでした。そんな愛は世の中の人々もする愛です。

 

私も完璧ではなく、私も人格が成熟していないし、私のひどい過ちも許されたので、そんな人さえも愛さなければなりません。
隣人への愛は、まさに私たちが受けた神の愛を返す道です。


[第一ヨハネ4:20~21]
 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えないか神を愛することはできません。


神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。

目に見えない神様を愛すると言いながら目に見える兄弟を愛することができなければ、その愛は偽りだと語ります。

 

愛には怒りと不満、憎しみと怒りを溶かす力があります。

 

神様は資格のない私たちを先に愛されました。

 

神の愛は条件付きや計算付きの愛ではなく、状況や環境によって冷める愛ではありません。神様の愛は何ものでも断つことができないし資格のない私を無条件に愛して惜しみなく与える死よりもっと強い愛です。

 

私たちがまだ罪人だった時、神は自分の御子を惜しまず私たちのために死なせることで、私たちに永遠の贈り物として与えてくださいました。
これが神様が私たちに与えた最高の愛です。

 

神の愛がその御子イエスの中で響き、イエスの愛は今私たちに響き、神の愛が世界中に響き渡ること。これが神の夢であり、我々がこの地で成し遂げるべき使命です。

 

愛とは与えるものです。愛は、温かい言葉と関心、真実な心だけでなく、忍耐力と許し、思いやり、共感と努力が必要です。

そうしてポケットの中のお金と忙しい私の時間を分けてあげなければならないのです。惜しみなく与える愛をする時、塞がった塀が崩れて絡まったことが解けます。愛することができなければ一生私の心が不便で不幸です。

 

お互いの過ちを愛で覆い、お互いに褒め合い慰め合い、まず愛を与える信仰のパートナーになることを祈ります。


♰父なる神様、水のほとりに植えられてる園のように、常に聖霊充満で持続的な聖霊の実を結ぶように導いてください。

私の意思と私の意地を張るような愚かな人生にならないようにして、お互いに許し合って理解する愛の実が豊かな人生を送りますように。

私の中にある醜く汚いものを聖霊の火できれいに燃やし、聖霊を頼りに愛し、施しながら生きていく成熟した真の信仰者になりますように。

 

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。