聖書黙想“3分の奇跡” 2020年5月27日水曜日

🧔2020年5月27日"3分の奇跡"
(一日3分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

4代に続く信仰を立てあげる聖書の暗唱聖句72

 

C9.神様を依頼する:供給1

 

[ローマ8:32]
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

 

タイトル:惜しみなく与える父の愛

 

🌱私たちは愛されるために生まれました。あなたは特別に神様の愛を受けるために生まれました。

 

皆さんは、その愛を実感していますか?

 

ところで、時には神様がほんとうに私のことを愛するのだろうか?
と疑問が生じる時があります。

 

神様が私を愛する理由は私が立派だったり偉かったり良いことをたくさんしたからではありません。

 

神様が私を愛すると選択されたから愛されているのです。
神様は私より先に私を愛しました。
私が神様を拒否して無視した時にも私を愛しました。
そして今もこれからも永遠に愛します。

 

私たちのための神様の愛は揺れることなく確固たるものです。神様があなたを愛する理由はその方がまさに愛だからです。

 

私に向ける神様、お父さんの愛はどんな愛でしょうか。
https: // youtu.be/bz6RrziVdU

 

❤ある姉妹の証しです。

 

私の家族は旅行から帰る途中、大きな事故に遭ってしまいました。
その事故で、私は補助足なしでは歩けなくなりました。
私よりはひどくなかったのですが、父も補助足なしでは歩けなくなりました。

 

私は思春期を過ごしながら死にたいほどの劣等感に苦しみました。私がご飯も食べずに机にうつぶせになって泣いているとき、慰めてくれたのは父でした。

 

父は私と同じ痛みを持っていたので、私の痛みを一つ一つ良く知っていました。

 

父の愛で私は無事に思春期を乗り越えて大学に入学するようになりました。
大学入学式の日、父は私が誇らしいと言って涙を浮かべました。

 

入学式を終えて帰る時でした。
目の前にとても緊迫した状況が起こっていました。車道である幼い子供が走っていたのです。
ところが私の目の前には、信じられない事が起きていました。
父が補助足なしで子どもに向かって全速力で走っていたんです。
私は、私の目を疑って、父がその子を抱いて歩道に出る姿を見守りました。

 

"お父さん?"
私はとても驚いて叫んでいましたが、父は聞かないふりをしながら、補助足を両腕に挟んで急いで行ってしまいました。

 

"お母さん?お母さんも見たでしょう。お父さんが歩いていたことを……"
しかし、母の顔は淡々と見えました。

 

"驚かないで、お母さんの言うことをよく聞きなさい。いつかはあなたも知る時が来ると思った。 お父さんは実は補助脚が必要ない正常な人だよ。あの時、お父さんは腕だけ怪我をしたの。でも4年間、補助足を使ってたんだ。同じ痛みを持ってこそ、痛みにいるあなたを慰めることができるって"。

 

"どうしたんだ。なんでお父さんまで…"
思わず泣き出しました。

 

"泣かないで。お父さんは、お前を慰められる自分をどんなに誇りに思ったか。今日は、あの子が交通事故でお前のようになるかと思って……"

 

先に歩いていく父の姿を見ている私は、着ていたピンクのパーカーを涙で汚してしまいました。

 

心が痛む日には、私はいつも父の胸に抱かれて泣きましたが、父は心の中でもっと痛み苦しみ涙を流していたのです。🌱

 

お父さん。。。

この父の心は、天の父なる神様の心であり、イエス樣の牧者の心です。私たちが恵みを受ければ、聖霊が私たちの心にこの"お父さんの心"を与えてくださいます。

 

自分の一人子までも惜しまず私たちみんなのために与えてくださった方が、その一人子とともに私たちに全てのことを恵んでくださらないことがあるでしょうか?

 

[マタイ7:11]
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

 

私たちに向けられている父の気持ちはどんな気持ちでしょうか。

 

第一に、父の心は良い牧者のような心です。

 

牧者は自分の羊が誰なのか知り、その羊の痛みと弱点を知り、羊の全てを愛しています。

 

良い牧者は羊たちの面倒を見て愛を施すだけでなく、羊たちのために命までも捨てます。

 

神様は私たちの罪と過ちと足りなさを分かっても憎まず、遠く離さず、許してくださり、最後まで耐え忍び待っていてくださる、霊的お父さんです。

 

神様が私を愛するその愛は、まさに父なる神様とその一人子イエス·キリストの間で交わり働いておられる人格的な愛に基づいています。

 

神様がイエス様を知り、イエス様が神様を知っている、まさにそんな人格的な愛で神様が私を愛しておられます。

 

神様は私たちの過去も知って現在も知って未来も知っておられて、私たちの弱点や過ちもご存知のうえで私たちを愛しておられます。

 

人が交わす愛は条件的な愛または利己的な愛です。それでいつも計算が先にたちます。利益になるか、損になるかを先に考えます。

 

したがって、人は自分の利益になりそうなら手段と方法を選ばずに飛びかかり、損になりそうなら親や子でも敬遠する存在です。

 

利己的な愛が人間の愛で、差別する愛が人々の愛です。

 

しかし、神様が私たちに向けて"私は良い牧者"だと言います。

 

損害になることを知りながらも愛する愛がイエス様が私たちに向けて施す愛です。
これが神様の心、我らの霊的な父の心です。

 

二つ目は、父の心は、家出した息子が帰ってくるのを待つ心です。

 

遺産を持って家を出た放蕩息子であっても、帰ってくるまで待ち、息子が帰ってきた時に行った父の行動が、私たちの人生に向けた神様の心です。

 

"お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。"と言った瞬間、父は息子の言葉を遮りながら、息子の首を抱いて口付けをしました。

 

父は息子が帰って来たので許したのではなく、父は既にすべてを許して、その息子が帰って来るのを待っていました。

 

父は私たちの過ちやとげ、失敗や過去を問わない愛です。

 

さらに父はその息子が新しく出発できるように息子の身分と権威、自由を完全に回復させてくださいました。

 

日々の暮らしの中で疲れ果て、弱り果て、そのままの姿で主の前に出て行くのですが、私たちが父なる神様の前に私を完全に委ねることさえ出来れば、私たちの心に触れてくださり、癒しを与え、満たしてくださることでしょう。

 

"あなたはもう愛が回復された私の息子だよ。"

 

3番目、父の心は困難な目に遭った子供を必死で救おうとし、最も良いもので満たそうとします。

 

囚われた甥のロトを救おうとするアブラハムの心、悪霊にとりつかれた娘を救おうとイエス様に訪れたカナンの女の心、最後まで責任を負おうとする犠牲の伴う心です。

 

いくら子供が悪く、罪を犯して、人から裁かれても、親にとっては愛しい子供です。

 

息子のアブジャロムが反逆して王になろうとしたとき、父のダビデは逃亡生活を強いられることになりました。ところがやがて、息子アブジャロムが死んだことを知った時、号泣して悲しむのが父の心です。

 

私たちが回復しなければならないのは"父の心"です。

 

恵みを受けるということは、"父の心"を取り戻すことです。父の心、母の心を持った人々が集まった共同体は、香りがあって犠牲、涙、感激があふれる天国になります。

 

父の心を持った者に神様は聖霊の賜物、愛の力を注ぎ、神様の道具として尊く用いられます。

 

体を起こして光の席に進んでください。私がいるべき場所、天の父なる神のそばにお帰りください。

 

♣アブラハムの神様、イサクの神様、イスラエルの神様、足りない私を神様の子どもにしてくださり感謝いたします。

 

私が父なる神様の心を知って、父の御心の通りにに従っていきますように。

 

良い牧者のようなお父さんの心と家出した息子が帰ってくることを許して待つお父さんの心を私にも与えて下さいますように。

 

自分の羊の状況と境遇を知るだけでなく、自ら木に掛かって命を与えてくださって、私たちの命を救ってくださった惜しみなく与える愛、聖なる父の心を回復させて下さい。

 

私たちが両親を喜ばせ、両親に順従する子どもになるようにし、また私を立派な親になるように導いてください。

 

私の子供を理解できますように、彼らが言おうとしていることを真剣に聞きますように、彼らのすべての質問にやさしく答えられますように。

 

イエス様の御名で祈ります。アーメン。

 

こちらは韓国で配信されている3分の奇跡を日本語に翻訳したものです。

韓国語のサイトはこちらから

https://band.us/n/a5ae284f0d8aV