聖書黙想“3分の奇跡” 2020年5月26日火曜日

💡2020年5月26日"3分の奇跡"
(一日3分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル:信仰の継承2

 

[箴言3:5~6]
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

 

小さな田舎の教会の入口を入ると、階段のそばに色あせた古い木の札が一つありました。

そこには"金マリア記念塔“と書いてありました。

今まであまり誰もそれの存在について意識する人はいませんでした。

 

ある日、ある長老に塔について聞いてみました。

すると長老さんはこう答えてくれました。

 

"ずいぶん前にこの教会に出席していた年老いた信者がいて、ひとり身で息子を育てました。 立派に勉強させ、お金もたくさん儲け、金持ちになったのは良かったのですが、残念なことに息子はイエス様を信じなかったのです。

 

母がいくら誘っても興味を持ってくれないので、母はこう言いました。"私が死ぬ時の遺言にイエス様を信じるようにと書くよ。"
すると息子が"お母さん、その遺言だけは書かないでください。私はイエスを信じたくないからです。お母さんがそのように遺言を書けば、私は一生親不孝者になります。

 

それで、お母さんは"そうなの?だったら信じなくてもいい。ところで、君にはお金があるので、こう提案をしたい。私が出席している教会の電気代を君が一生支払うように“と。息子は"分かりました。それは私が守ります。"

 

母は亡くなって毎月電気料金の告知書が息子のところに届きました。その息子は毎月教会の電気料を払いました。息子は支払う度にお母さんのことを考えました。

 

"こんな遺言を残さなければならないほど、母は私のことを切実に思ってくれていたのだな“

その息子はついに教会に戻りました。🌱

 

[ヨハネ8:36]
ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。

皆さんにも信じない子供がいらっしゃいますか。彼らにどのように神様の愛と福音を伝えれば良いでしょうか。

 

私たちは神様に任せられた役目をきちんと果たし、子供たちに信仰を継承しなければなりません。

どうやって信仰を受け継げばいいでしょうか。

 

一つ、聖書が"答え"であることを信じて、聖書どおりに養育してください。

 

[ヨハネ17:17]
真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。

 

聖書は神の霊感によって書かれた真理であり、人生の教科書です。生きた教科書で子供を養育してください。

 

子育てのための親の免許や資格証試験はありません。私たちは危険千万な無免許の親です。

 

完璧な親もいなければ、子供の教育に王道もありませんが、聖書にその道があります。聖書は子供の教育のナビゲーションであり解答です。羅針盤です。

 

[詩編19:7~8]
主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。

 

ただ神様の言葉だけが人生に活気をくださり、愚かさを悟らせ、心に喜びをくださり、人の心を照らしてくださいます。

 

神様を信頼し、全てを神様に委ねてください。

聖書様の助けを求めてその方と共に歩んで下さい。

 

子供の声に耳を傾けてください。よく聞く人に子供たちは心を開きます。

 

"母はいつも私の味方"という確信を与え、子供の立場で理解して感じて話して"共感"を感じれる味方になってください。

 

しかし、信仰教育をする前に、両親が一番先に準備しなければならない徳目は愛です。愛のない律法は傷つけます。

 

強圧的に律法に順従を強要する"強圧的順従訓練"は傷だけをつけて、子供が大きくなるとかえって拒否することになります。

 

二つ目、子供達とお互いのために祈る執り成しチームになってください。

 

家庭はどの宣教地よりも熾烈な霊的戦場です。

 

親という名前で生きていると、まるですごい能力を持った完璧な人だと錯覚したりします。しかし、私たちは親である前に罪人です。

 

親らしさは子供を通して作られます。神様は足りない親を手入れして行く大事な過程で子供達を用います。

 

"ママは大罪人でお前たちは小罪人だ。罪人が罪人を教え導けないから私たちには罪のないイエス様が必要なんだよ。"

 

親子が互いに手を取り合って、栄光に輝くイエス様と一緒に歩む時、お互いのために祈る執り成し手になります。

 

十字架の中で毎朝死ななければ罪人の姿が現れます。私が死んでこそイエス様がその場に臨みます。

 

完璧な親が立派な子供を育てるのではありません。自分の弱さと過ちを認め、子どもにも謝罪できる親が、信仰の子どもを育てます。

 

親の弱点は完全なる神様を見せることができる通路になるはずであり、子供は不完全な親から立ち上がって完全なる神様をつかまえるようになります。

 

毎朝、子供たちと黙想をして、御言葉の前で神様の恵みを求めてください。

 

完璧になろうとせず、足りない自分を認めて毎日ガラテヤ2章20節の御言葉を宣言し、子どもと互いに執り成し祈りをしてください。

 

完璧な母親になれなくても、最善を尽くす親にはなれます。昨日よりましな親になるためにいつも御言葉とお祈りで満たしてください。

 

第三に、信仰の模範にならなければなりません。

 

子供達が会う一番目の先生はまさに親です。毎日家庭で見る親の目つき、表情、口調、生活習慣、黙想、祈り/賛美する信仰生活。すべてが子供の教科書になります。

 

見えるものは子供の生活指針になり、人生の全般で親を通じて学んだ価値観と文化は自然に子供の世代につながります。

 

家庭はイエス様の愛を具体的に教えて学びながら実践する最初の学校であり、最高の学校です。

 

親は子供を養育して教える教師である前に神様から学ぶ弟子です。真理が子供の人格に溶け込むように、自分がまずイエス様と人格的に親密に毎日交わり、その愛が子供に流れるようにしなければなりません。

 

私たちはこのように宣言しなければなりません。

 

"親である私は、神様から預けられた子供に御言葉を教育する使命者として、世の中の教育に奪われた教育の主導権を取り戻します。"

"親である私は、神様の形に似せられて創られた子どもたちが、世俗的価値観に染まらず、クリスチャンのアイデンティティをしっかり持つように養育します。"

(参照:5/24/20週間礼拝説教、白銀実のお母さん表の信仰教育)

 

恵みと慈悲を施す父なる神様、私の家庭に世の中の何より大事な子供を与えてくださり感謝いたします。

 

子供たちを通じて家庭の大切さと人生の本当の幸せを感じることができるように恵んでくださった主を称えます。このように大事な子供を私に任せてくださったのに、彼らを完全に愛し、理解し、受け入れられなかったことを悔い改めます。

 

子どもたちを一人の尊厳な人格体として見ることができず、学業の結果、成績だけで評価し、他の子どもたちと比べて無視したり、蔑んだりして、心に深い傷を与えてしまった愚かな私を許してください。

 

子どもたちが私の子どもである前に、神様の子どもだという意識を忘れないようにし、信仰教育を最優先し、神樣の喜びとなる子ども、神様の真実な働き手としてよく育てるように忍耐と節制と知恵を与えてください。

 

毎朝、子供たちと黙想をして、御言葉の前で神樣の恵みを求め、完璧ではないが、最善を尽くして昨日よりさらに良い親になれるように導いてください。

 

他人と比較し、監視し、命令する親ではなく、子どもたちの弱さを理解し、励まし、褒めて、慰めと祝福の祈りをともにする真の親になりますように。

 

イエス様の御名でお祈り捧げます。 アーメン。