聖書黙想“3分の奇跡” 2021年4月1日木曜日
⚪2021年4月01日 「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)
タイトル:キリストの中で私たちは一つの体です。
[ヨハネ17:21]
それは、父よ。あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
🍀メソジスト教会の創設者でありキリスト教指導者でもあるジョンウェスレーがある日夢を見まあした。
彼は天国の門に上がって、そこで天使に会いました。その天使は天国の門を守っていました。
ウェスレーは天使に尋ねました。
「カトリック信者は天国に来ていますか。」
天使は大きな本のページを注意深く広げてみてから答えました。
「天国にカトリック信者は一人もいないですよ。」
ウェスレーは、カトリック信者が天国にいないことは当然だというように、うなずきましたた。
それで彼はまた尋ねました。
「それでは長老教派の人たちは天国に来ているのですか。」
ウェスレーの質問に、天使はまた本を開いてみてこう答えました。
「長老教派も一人もいないですね!」
ウェスレーは天使の返事を聞いて大きく驚きませんでした。この二つの教派の人間が天国に来られないのが当然だと思ったからです。
ウェスレーは、この世にある様々な宗派について質問を続けました。
天使は、彼らの宗派に属する人もいないと答えました。
「そりゃそうだ! メソジストの以外に誰が来れるか考えたウェスレーは「それなら、メソジストの人たちは天国にどのくらい来ていますか」と尋ねた。
すると、天使は、はっきりした口調で答えました。
「ウェスレー,悪い話だがメソジストの人たちも天国に一人もいないですよ。」
ウェスレーはとても驚いてぽかんとして立っていました。すると、こう尋ねました。
「天国にカトリックも長老教派も、バプテストもいなく、それにメソジストもいなければ、一体誰が天国に入って来るというのですか」
すると、天使は、にっこり笑いながら言いました。
「天国には主イエスを愛する人だけが来ているんですよ!どの教派に属しているかということは全く関係ないですよ。」🌱
[ローマ12:4~5]
一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
教派は違っても私たち各自は神様の前で皆尊い者です。
私たち皆はキリストの中で一つであり、霊の家族です。
互いに強調することが異なり、性格も異なりますが、信仰の根本的な教理は同じであり、キリストの中で我々は皆、つながり合う生命共同体なのです。
教会は味方を分ける場所ではなく、誰がより偉く、誰がより重要だと恩着せまがしく言ったり、誰が間違って、誰が足りないと咎める場所でもありません。
互いの違いを尊重し合い、分裂したり紛争になったりしないよう、一つにならなければなりません。
連合の半分の勝利、散在する砂の卵という言葉があるように最近の韓国教会が難しい時にお互いに中傷して非難し他人のせいにするよりは一緒に執り成し祈りで心を一つにして神様により頼むべきです。
イエス様は最後の晩餐の後、弟子たちの足を洗ってくださいました。そして十字架にかかる前に、弟子たちと何を最も一緒にしたかったでしょうか?
[マルコ14:33-34]
そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。 そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」
イエスは弟子たちと一緒にオリブー山に登って一緒に目を覚まし、祈りの場所にいたがりました。弟子たちを祈りの働き人にしたかったのです。
本当に祈るべき時、危機に瀕した時、難しい決定を下さなければならない時、皆さんは一緒に祈るのですか?もしくは一人でお祈りするんですか?
普通、祈りの題目を分かち合っても本当に大変なことが起こると一人で引っ込むる場合があります。
大変な状況がプライドを傷つけられたり、恥をかかれたりもしますし、私の困難がオープンされると無視されそうなので執り成し祈りを要請したりもしません。
しかし、イエス様さえ一人で祈らず、弟子たちと一緒に祈ってくれることを望みました。
私たちは信仰の共同体であり、霊の家族です。
今回の苦難週、特に国と教会のために、ともに祈りの場所に進むことを願います。
イエス様の十字架の死の後、悲しみの色をしながらエンマオーに下って行った2人の弟子は復活の主に会った後、再び喜びと感激の中でエルサレムに上がった。もはや私たちも、コロナ19の失敗と絶望の中で座り込んでいてはならない。再び復活の主に再会し、エルサレムに戻らなければならない。崩れていく教会を建て直し、礼拝を回復しなければならない。」
私たちは、体なるイエス様の大切な人々であり、共に歩まなければならない永遠の家族、霊の家族です。
明日の聖金曜日、断食を通じて一緒に祈り、復活祭の礼拝のために祈ってください。
🛐 万物の頭である父なる神様、ただイエス様だけが教会の頭であり主人です。
教派を越えて教会がキリストの中で一つになって神様の御国がこの地に臨み神様の御心にかなうように一つの心で祈りますように。
復活祭の礼拝に教会全体が一つになり、復活の主を称え、教会が回復することを祈ります。
三位一体の神様が完全に一つになって、愛の共同体のモデルを見せてくださるように、私たちも神様の子供として神様に似て完全な一つになるように導いてください。
イエス様の御名でお祈りいたします。アーメン。
聖書黙想”3分の奇跡”2021年3月18日
202021年3月18日 "3分の奇跡"
1日3分のお言葉、黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!
タイトル: 他人をさばくな
[ローマ書2:1]
ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行っているからです。
🍀ある日、大きな農場を経営するテイラーさんにジェームズという青年がやって来て、仕事をくださいと頼みました。
彼は青年の姿が健やかでまじめに見えたので承諾しました。
青年は干し草の上で寝て食べる生活をしながら一生懸命働いて、彼が正直で誠実だったのでテイラーさんは満足しました。
しかし、テイラーさんの娘がその青年を愛するようになると、態度が急変しました。
「お金もなく系図も分からない作男のくせに敢えて私の娘を見下すとは。とんでもないことだよ。」
結局テイラーさんは彼を追い出してしまいました。
そして30年の時間が過ぎました。
テイラーさんは、干し草の倉庫を修理しようと大掃除をしている途中、倉庫の柱にナイフで刻んだ名前を見つけました。
「ジェームズ·アブラハム·ガーフィールド」
その名前を読んで、もしやと思って書斎に駆けつけて大統領の写真をよく見たら、驚くべきことに米国の大統領で自分が追い出したその青年でした。
彼は20代の米大統領で、真実なクリスチャンであると噂になっていて、幼い頃は非常に貧しかったので、何でも手当たり次第に働きながら熱心に勉強したのです。
テイラーさんは人間の誠実さ、正直さ、真正性を見ずに外的な条件と財力を見た自分を悔い改めました。🌱
[ヤコブ2:1]
私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。
私たちの主イエス様はこの世に外見や良い家や権力で来られた方ではありませんでした。その方には取り立てて言うほどの学歴もなかったし地位も権威もありませんでした。
その方は最も低い地位に来て暗闇の権威に押されている人々と友達になり、彼らと一緒に暮らしました。
それでイエス様に従う者は、誰であれ外側を見て判断しません。
イエス様に従う者は人に大事に思われようと努力せず、
人から蔑視されることを恐れません。
イエスに従う者は最も低い席に座ることを恥ずかしがらないです。
それは、我々の主がそんな生き方の模範に示したからです。
私たちはこのような新しい出会いや面接、合コン、集まりなど新しい人に会う時、どうすれば相手に良い印象を残せるかいつも悩んでいます。
「印象」とはある人や物について総体的に要約された評価のことで、とても短い時間で相手に対する評価と結論を下します。
良い第一印象のために得をする人もいればあまり良くない第一印象のために損をする人もいます。
「好印象を残すことのできるチャンスはたった1回だけ」という言葉があるように、第一印象はとても重要ですが、第一印象よりも重要なものがあります。
それは「最後の印象」です。
すべての瞬間とすべての出会いの印象が重要ですが、最後まで美しく残っていることがもっと重要です。
私はある人の悪い第一印象や、他人の評判でその人について誤解したり、偏見を持っていないんですか?
何度か会ってみて、その人について全部知っていると結論付けたことはないか。カーダ通信によって、またはインターネットで流れているデマによって、ある人を否定的に評価したことはないか省みてください。
私たちは毎日、真正性と正直さで成熟した人格として最善を尽くし、間違った偏見と先入観により、真の人を誤解しないようにしなければなりません。
神様は背が高くてハンサムなサウル王を立てたが、傲慢で不純で自分勝手に行動するのを見て他人を王に油を注ぐようにとサムエル預言者に語り、その人はエッサイの家にいると語りました。
サムエルがイサイの家に到着して、息子たちを連れて来なさいと言うと、エッサイは八人の息子のうちの長男のエリアブを連れてきたんですが、彼は体格が大きくて、ハンサムで、サムエルは「確かに、主の前で油を注がれる者だ」と頭に油を注ごうとすると、神様はこうおっしゃいました。
[第一サムエル16:7]
しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」
それで、二番目から七番目まですべてサムエルの前を進ませたが、主はこの者たちを選んではおられないと言いました。
「子どもたちはこれで全部ですか」と聞くと、末の子が残っています。あれは今羊の番をしていますと言いました。
サムエルは彼を連れてくるように言いました。ダビデを連れてきたら、全身にほこりと羊毛がついて、羊の匂いがする体で入ってきたが、その時になって神様が「この者に油をそそげ。この者がそれだ。」と油を注ぐように語りました。
[第一サムエル16:12]
エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」
親もあまり気にしなかった羊飼いのダビデですが、心を見ておられる神様の気に入り、イスラエル歴史上最も偉大な王になったのです。
今も神様は我々の心をよく見ておられる方です。神様が見て心が美しければもう望むことはありません。
心が美しければ、うわべはちょっとまともではなく見えても、神様の恵みと尊く思ってくださり、祝福も受けることができます。
外部的なもの、外見や身なり、職業、自動車、些細な行動や言葉など付随的なもののために人を高く評価したり低く評価するミスを犯さず、
また、近すぎるため、彼の偉大さを見られない過ちを犯さないようにし、
我々皆、神様が見て最後まで美しい人になることを祈ります。
🛐人の心を見ておられる父なる神様、私の目の中にある梁をまず十字架と聖霊の力で除かれることを求めます。
自分自身の足りなさを知って神様の前に正しく立ち、人をさばく心ではなく、愛の心で兄弟を励まし助ける私となりますように。
見えるもの、外部的な条件で人を評価したり人をさばくことのないように、これまで私の偏見と先入観、色眼鏡で人を接して判断した私の罪をお許しください。
心の中を見て私と他人さえもお互いに愛し合い、理解して配慮する私となりますようにわが心を広く作り変えてください。
イエス様の御名でお祈りいたします。アーメン。
聖書黙想“3分の奇跡” 2021年3月11日木曜日
🔥2021年3月11日 "3分の奇跡"
(1日3分の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)
タイトル:神様が悪を作ったのですか?
[ルカ5:31~32]
そこで、イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
🍀ある大学の教授がクリスチャンの学生たちに次のような質問をしました。
「神様が存在するすべてのものを創造したのか。」
ある学生が勇敢に答えました。
「はい, そうです!」
すると教授が言いました。
「もし神様が存在するすべてのものを創造したなら、悪も存在するから神様は悪も創造した。そして、私たちの成果と業績が、私たちが誰かを規定するという原理に基づくなら、神様は悪だという論理が適用されるね。」
生徒たちはこの言葉で静かになりました。
教授は自ら大変満足し、学生たちに神様を信じる信仰は迷信であることを証明したと自分の知性に誇らしげに語った。
ある学生が手を挙げて言いました。
「教授、質問してもよろしいですか。」
「もちろんだよ」
「教授、寒さってありますか。」
「何の質問なの。当然寒さが存在する。君は寒い時がなかったのか。」
他の学生たちはこの学生の質問にくすくす笑いました。
学生は言いました
「実は寒さはありません。物理学の法則によれば、私たちが寒さとみなすのは、実は熱の不在です。誰でも、そして何でもエネルギーを伝えるときに研究可能なのです。絶対0度は熱の完全な不在です。ですから寒さは存在しません。この単語は熱がない時に私たちがどのように感じるのかを描写するために人間が創造したものです。」
生徒は続けました。
「教授、暗いところがありますか?」
「もちろん存在する。」
「もう一度教授が間違っています。暗さも存在しません。暗さは、事実上、光の不在です。私たちは光を研究することができますが、暗さはそうではありません。実際に、ニュートンのプリズムを利用して、白光をいくつかの色に分けて、それぞれの色の様々な波長を研究することができます。しかし、闇を測定することはできません。
簡単な一筋の光で闇を破って光を放つことができます。どんな場所がどれだけ暗いか、どうやって分かるんですか。光の量を測定します。暗さは光の不在を描写するために人間が使用する用語です。」
とつぜん若者は教授に聞きました。
「教授、悪が存在しますか?」
今や教授は確信できないまま答えました。
「もちろんだ。その通りだ。私たちは毎日会うんじゃないの?毎日毎日見る人間の残酷さに存在し、世の中の様々な犯罪と暴力にも存在する。これらの現象を悪以外に何と言うのか?」
これに学生が答えました。
「教授、悪は存在しないか、少なくとも自ら存在しないです。悪は単純に神様の不在です。まるで暗さと寒さのように、神様の不在を描写するために人間が作り出した単語にすぎないだけです。
神様は悪を創造しませんでした。光、熱のような信仰、愛と悪は違います。悪は人間の心に神様の愛がない時に起こる結果です。これはまるで熱がないときに寒さが来て光がないときに暗さが来るようなものです。」
教授は座り込んでしまいました。🌱
[エペソ2:1]
あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
この学生の知恵と聡明に拍手を送りたいです。
神様が悪を作ったのではなく、救われたが相変らず私たちの中に残っている罪性と貪欲、神様を畏れず自分を中心にして生きて、誘惑に簡単に落ちってしまう未成熟さによって罪をずっと犯しています。
何が善で悪でしょうか?
最近は善と悪を判断する基準がマスコミ、インターネットに流れる確認できないデマ、偽ニュース、政権が代わると変わっていくいくつかの政策です。何が真実で何が偽物なのかわかりません。
政府の顔色をうかがって、世間の世論を恐れて、福音を伝えるのに後回しにしてあきらめているのではないですか。
私たちは世界の僕ではなく、神様の民にならなければなりません。
私たちの暮らしの羅針盤であり、中央線は神様であり、十字架や神様の御言葉をつかんで生きなければなりません。
[ヨハネ14:6]
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
救われたにもかかわらず、聖く変わるではなくサタンの攻撃と誘惑に無気力な自分を神様にいける捧げものにし、聖霊様に頼って助けを求めなければなりません。
毎日顔を洗うように悔い改め、毎日息をするように祈り、毎日ご飯を食べるように御言葉を食べなければなりません。
私たち皆、救いにふさわしい人生、イエス様の十字架の犠牲が無駄にならない人生を送ることができるように、毎日恵みの御座の前に進んで行きますように祈ります。
✝️ 万王の王様である父なる神様、私の足りなさと未成熟さで神様の御名を汚し神様の栄光を隠しているのではないかと悔い改めます。
主が私の人生とすべてのものの主人になって、私を心を司り、世の人々とは違う区別された人生を送るように導いてください。
神様の子としてふさわしい人生を送り、世の中に送られた神様の民としての使命をよく担い、神様の御国がこの地に早く臨みますように。
イエス様の名前でお祈りいたします。アーメン。
聖書黙想“3分の奇跡” 2021年3月4日木曜日
🏕2021年3月04日 "3分の奇跡"
(1日3分の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)
タイトル: 羊飼いの心情による完全さ
[詩篇4:8]
平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。
❤語られる通りに生きて成功した多くの人の中で一人、テッドパイパー(Tad Piper)さんをご紹介します。
彼は第3世代の経営者として100年の伝統を持つ優秀な企業で、優れたサービスと誠実さで名声を得ている会社の社長でした。
ところが1994年4月、金利引き上げに伴う債権とデリバティブ市場の正面衝突により、債権市場は墜落し、破産してしまいました。
その時テッドは、戸惑いながらこんなことを考えました。
「私は何か悪いことをしたのかしら。どうしてこんなことが私に起こったの?」
しかしどう考えても理由がわからず、破産は現実だったので彼は腕をまくりました。
数多くの質問と非難が降り注ぐ中で、混乱した経営を取りまとめて前に進み始めました。
そんなある日、彼は小さな小包みを受け取ることになります。その小包の中には、次のような文句と録音テープが入っていました。
「このテープを聞いてみてください。私も多くの助けを受けました。社長にも役に立つでしょう。」
彼は、このプレゼントは愛のプレゼントであり、確かによいプレゼントだということも知ってはいましたが、あまりにも状況が緊迫していたので、テープを聞くこともできないまま2週間が過ぎました。
限界状況と格闘している途中、完全に力が抜けるぐらいまでに至りました。
「ああ, もう終わりなんだろう。何もできないな。またい起き上がる可能性はゼロだよ。」
このように捨て鉢で愚痴ばかりこぼしていましたが、彼はそのテープを思い出し、テープをつけました。
そのテープの内容は詩編23編に関する説教でした。
「昼夜に羊を守り、保護される方が羊飼いです。ところが、羊飼いがあっても難しい目に遭わないというわけではありません。たとえ大変なことにあっても、死の影の谷を歩いても、恐れずに不安と恐怖を吹き飛ばしてください。私たちには善良で慈しみ深い羊飼いがおられるからです。」
羊の面倒を見てくださる羊飼いの愛に気づいた彼は、新たに祈り始めました。
「神様、私にできることは羊飼いである主だけを頼るのみです。神様にすべてを任せますので、これからは神様が導いてください」
しばらく祈っているのに、驚くべき平安が押し寄せてきました。後にテッドはこの瞬間をこのように告白しました。
「私はその時、神様が私と一緒にいることを感じました。それで、死の谷から抜け出すことができたのです。」
「私は乏しいことはありません」は現在と未来に対する告白です。たとえ今苦しくて難しくても、主は私の羊飼いなのでこれからの人生は乏しくない人生を生きると確信しています。
このように詩編23編は、イエス様の祖先である「ダビデの賛歌」ですが、それを超えて創造主神様の「牧者の心情」を宣言した「メシア的詩編」です。
[詩編23:1]
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
魂の満足です。イエス様が荒野の試みを受ける時、父なる天のお父様が御使いたちを送って仕えさせたことで、イエス様は乏しいことがありませんでした。
[詩篇23:2]
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
魂の導きです。イエス様は物理的に頭を置く所もありませんでしたが、朝早く起きて祈りに静かな所に行かれる時、父なる神様が準備した緑の牧場と休める憩いの水のほとりの恵みを受けられ、
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」と語られたように、イエス様は神様の「御言葉」を「パン」の代わりに取りました。
[詩編23:3]
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
魂の生き返らせです。イエス様の心がゲッセマネの園で悩み、死にそうになった時、彼の魂が生き返らせ、神様が準備した義の道を歩むことができました。
[詩編23:4]
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
魂の守りです。イエス様が死の陰の谷、最も苦しいカルバリーに導かれましたが、父なる神様が御子イエス様が受ける数多くの苦難の中から彼を守り、彼を死者の中から救い出しました。
[詩編23:5]
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
魂の供給です。神様が準備してくださった「御子メシアの婚姻宴会」のために、天に昇りました。
[詩編23:6]
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
魂の永遠の住まいです。イエス様は神様の家に永遠に住まうために天に昇りました。
父なる神様は御子イエス様の完全なる羊飼いでした。
その愛と供給により、イエス様が苦難と困難を乗り越えられました。
私たち皆が苦痛を受けて苦しんでいる中でも、再び立ち上がることを願う羊飼いの心情を悟り、羊飼いである父なる神様を信頼し、平安を受けることを祈ります。 (2021年2月28日の主日礼拝の説教参照)
✝️私たちの羊飼いなる父なる神様、私の乏しさを永遠に満たして安らかにしてくださる神様を一生信頼して生きていきますように。
父の羊飼いの心情で、一人の魂を大切にし、完全な弟子で家庭と職場、言葉と行動で真の弟子の人生を歩んでいきますように。
イエス様の御名でお祈り申し上げます。アーメン。
聖書黙想“3分の奇跡” 2021年2月25日木曜日
💎2021年2月25日 "3分の奇跡"
(1日3分の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)
タイトル:あなたは特別な人です
[ヨハネ福音3:16]
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
❤ニューヨークのある女性教師が、自分が担任をしている高校3年生に賞を贈ることを決定しました。
彼女は学生たちを一人ずつ教室の前に出て来るようにしました。そして、その学生たち各自がクラスでどれだけ特別な存在なのかを説明しました。
そして、生徒たちにいちいち青いリボンを一つずつつけてあげました。
リボンには、黄金色の文字で書かれていました。
「あなたは私にとって特別な人です。」
このことがあってから女性教師はもう一つの計画を立てました。
生徒たちはそれぞれ3つの青いリボンをもっとあげて、それらを持って周りの人たちにつけてあげなさいと言いました。
その次の一週間後にその結果を書きなさいというのが宿題でした。
ある学生が学校の近くにある会社の副社長を訪ねました。先日、自分の進路のことで副社長が親切に相談にのってくれたからです。
学生は副社長の襟に青いリボンをつけてあげた後、もう2つのリボンをあげながら言いました。
「これは私たちの先生がお考えになったことですが、このリボンを副社長から尊敬される特別な人につけてあげてください。
そして、残りの一つはその人の特別な人につけてあげてください。その結果を一週間後の私に必ず言ってください。」
その日の夕方、副社長は誰にこの青いリボンをつけてあげようかと悩んだ末、社長のところへ行きました。社長は職員たち皆に酷い人物として定評のある人でした。
しかし、副社長は社長の前に近づき、社長が持っている天才性と創造性に対し、心から尊敬の意を表しました。
社長はとても驚いたように見えました。
副社長は青いリボンを取り出しながら、感謝のお土産にしたいと言いました。
社長は戸惑いながらもうれしそうに言いました。
「ああ, どうもありがとう。」
副社長は青いリボンを社長の胸につけてあげてから、もうひとつリボンを取り出しました。そして言いました。
「私の頼みを一つ聞いてくださいませんか。この予備のリボンを社長から大切にされる特別な人につけてあげてください。実はある学生がこのリボンを持ってきて、私に渡しながらこんなお願いをしたんです。」
その晩、家へ帰った社長は、十七歳の息子を座らせて言いました。
「今日は信じられないことがあった。オフィスに座っていた時、副社長が入ってきて、「私は非常に創造的で天才的な人物だと言って、このリボンをつけてくれた。考えてみなさい。僕が創造的で天才的だということだよ。ハハハ
彼は「あなたは私に特別な人です」と書かれたこのリボンを私の胸につけてくれた。余分のリボンをもう一つ渡しながら、私が特別に大切にする人につけてあげてくださいって。
今日の夕方、車で家に帰る時、誰かにこのリボンをつけてあげようかと考えたんだけど、すぐに君のことを。私は君にこのリボンをつけてあげたいんだ。
私はビジネスで一日中てんてこ舞いしているのよ。それで家に帰るとお前にあまり気にすることができなかったんだ。
時々,私は君が成績が落ち,寝坊したり部屋の中を散らかすことをよくどなったものだ。でも今夜君にこの話をしてあげたいんだ。君はこのお父さんにとって誰よりも特別な人だ。
君のお母さんと同じく君は私の人生で一番大切な存在だ。あなたは立派な息子だし、私はあなたを本当に愛している。」
ところが、突然息子が泣き始めました。息子は涙を流し続けました。全身がひどく震えていました。
やがて頭を上げて、お父さんを見た息子は、涙声で言いました。
「お父さん、実は私は明日の朝に自殺する決心をしていたんだよ。パパが私を愛していないと思ったんです。私は私がこの世の中で生きる価値もない役に立たない人間だと思いました。もうその必要がなくなりました。」🌱
[ヨハネ福音14:18]
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
敗北したり失敗したり、稼いだ財産や業績がないからといって萎縮したり、意気消沈したりしないでください。
今の私の姿がどうであれ、神様にとって私はとても特別な人です。
私たちは神様がつくった神様の'作品'であり、将来に大きな相続を受ける人です。
神様は今のままの私を愛します。
私は神様が形造って呼んだ子供です。
[イサヤ43:1~2]
だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を
歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
私たち皆は神様が選んだ祝福された人です。
神様の子供の特権を受けて、父の守りの中で生きていく特別な存在であることを忘れず、嬉しく感謝しながら生きていくことを祈ります。
✝️私を特別に愛する父なるお父さん、世が与えられない天の慰めと平安で私の心を守ってください。
世の人々の成功の前で萎縮して私自身がみすぼらしく見える時にも私を呼んでくださった主の御声を聞き、主の子供として堂々と生きていけますように。
私の人生の中で、あらゆる憂いと心配が押し寄せて座り込んでいる時、疲れて傷ついた気持ちで涙を流している時、私のところに近づいてきて暖かい胸に抱いてくださる神様を感じれますように。
イエス様の御名でお祈り申し上げます。アーメン。
聖書黙想“3分の奇跡” 2021年2月18日木曜日
🍊2021年2月18日 "3分の奇跡"
(1日3分の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)
タイトル:私に求めるならそれをしましょう。
[ヨハネ福音14:13~14]
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。
❤イギリスのバプテスト教会牧師F.B.マイヤーが船に乗って大西洋を渡る時にあったお話です。
彼は船のチャペル室で日曜礼拝を導きました。当時の彼の説教のタイトルは、「祈りは答えられる」でした。
その集会に無神論者が参加しましたが、説教が終わった後、ある聖徒が彼に「マイヤー牧師の説教をどう思いますか」と尋ねると、彼は「一言も信じられません」と答えました。
午後になるとマイヤー牧師は3等乗客のために説教をしに行きました。
その無神論者も退屈であったし、笑いを誘うために3等乗客の間を通ってマイヤー牧師に同行しました。
歩いている途中、目を閉じて膝の上で手を合わせたまま眠っているような白髪の老女が目立ちました。
無神論者の袋の中にはみかんが二つありましたが、それを取り出して、その老女の膝の上にそっと置きました。
しばらくして目を覚ました老女は、みかんの皮を剥き始めました。
これを見たマイヤー牧師が「みかんがとてもおいしそうですね」と言うと、老女は「はい、私のお父さんは実に親切です」と言いました。
その時、無神論者が尋ねました。
「え?お父さんですって?まだお父さんが生きていらっしゃるんですか?」
すると老女は「父なる天のお父さんを言っているのです。あの方は実に生きていらっしゃいます。」
「いったい、おばあさんは何を言っているんですか!そのみかんは私が差し上げたものです。 神様が下さったものではありません。」
「ああ、そうですか!実は私は何日間船酔いで苦労していました。それで神様に‘どうしてでもみかんを下さい’と祈りました。
祈り続けた末、しばらく昼寝をしたようですが、目を覚ましてみたら神様がみかんを1つではなく、2つもくださったのではないですか!
誰を通してくださっても神様に祈って答えを受けたのだから、父なる神様に感謝するしかないです。」
この言葉にその無神論者は壊れました。神様が無神論者である自分を通しても答えをされているということに気づいて霊の目が開きました。🌱
[ローマ書8:28]
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。
信じてない方は神様がいないように行動しますが、神様は彼の行動までも働かせてその方の御心を成就させます。
ヨハン·クリソストームはこう言いました。
“祈りは壊れた船に乗った人たちの港であり、溺れる者に命の綱であり、倒れる者に杖であり、貧しい者に宝石であり、病める者に医者となり、我々に祝福の道を与え、苦難の雲を切り抜ける。”
今すぐ答えを受けられなかったとがっかりしないでください。
今見えるものがすべてではなく、世の中がいくら険悪で混乱しても、信じる目でその世の中を見れば、神様がすべてを働かせて益としてくださいます。
教会が非難の対象になって世俗化の波が強く、成功主義、一発屋主義、物質主義、反キリスト教的な情緒が強い今でこそ神様にもっと祈る時です。
祈りは願いが叶う通路や万事がうまく行く近道ではありませんが、神様はすべてを働かせて益としてくださって、時が来れば一番善い道へと答えてくださるでしょう。
祈りは神様と私の関係回復です。まず、私と神様との信頼を回復し、語ってください。
私たち皆、休まず毎日随時に天におられる私のお父さんにお祈りして神様と豊かな関係を結んで神様が私の人生の主人になって聖霊充満な一日を過ごすことを祈ります。
✝父なる天のお父様、神様の前で私はちりであり、空しく消える夜明けの霧のようなものです。
今日一日の人生を神様が自ら導いてくださり、私のすべての考えと感情を治めてください。
今日も祈りの杖で心配を吹き飛ばし、主に従う一日、随時祈る一日、主に頼って主だけを見つめ、霊的な喜びと平安の一日になるように。
イエス様の名前でお祈り申し上げます。アーメン。
聖書黙想“3分の奇跡” 2021年2月11日木曜日
🛐 2021年2月11日 "3分の奇跡"
(1日3分の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)
タイトル:私は神様の味方ですか。
[箴言16:20]
みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に寄り頼む者は幸いである。
❤アメリカで南北戦争が起き、北軍の戦勢が不利に回っていた時期でした。
ある参謀が来てリンカーンに聞きました。
「閣下!神様は私たち北軍の側にいらっしゃるのでしょうか、南軍の側にいらっしゃるのでしょうか。」
この質問にリンカーンはこう答えました。
「私は神様が味方になるのか、敵におられるのかを考えていない。」
「え?私たちが負けたら死ぬかもしれないのにそれを悩まないんですか。」
「私の唯一の悩みは、私が神様の味方になっているかということだね」🌱
[マタイ福音 6:24]
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
皆さんも神様が私の見方なのか他の競争者の見方なのか悩んだことがありますか?
しかし、神様はいつも私の側にいながら, 相変らずお金と名誉, 権力のような世の中の側にいる私を見て悩んでおられます。
私たちは皆、神様の助けと祝福を求めていますが、どうすれば神様の助けを受けれるのにふさわしい人になれるのかについては悩みません。
私は本当に神様の味方として立っているんですか。
神様より人と財物を頼ってはいないですか。
何を食べようか、何を着ようかと悩んで、いつも心配ごとに不安に震えていませんか。
私たちは主が私をどんな所から救い出して今の私を作り変えてくださったのか忘れることが多いです。
神様の恵みによって私は今の私になったのです。
どんな都合と状況でも神様の味方でまず神様の御国と義を求めながら暮せば、神様はすべてを満たしてくださり、供給してくださるでしょう。
神様の味方になると荒野に道を砂漠に川を作り出す神様が一番善い道へと導いてくださるはずです。
正月を控えてもう一度私は誰と何の味方になっているのか静かに黙想してみます。
感謝と喜びがあふれる正月連休を過ごして、今年一年も神様の味方で神様をもっと愛する私たちになることを祈りながら。。。
東洋宣教に大きな業績を残したスペインのフランシスコ·ザビエル神父の詩を分かち合います。
🍀私の神様、
私はあなたを愛しています
しかし天に帰ろうとあなたを愛しているのではありません。
またあなたを愛さなければ永遠に死ぬかと思って愛するのでもありません。
私のイエス様!
あなたは十字架の上で私を抱きしめてくださいました。
私のために釘に刺され、槍に刺され、多くの恥をかきました。
そんなあなたをどうして愛さないことができますか。
祝福を受けたイエス·キリストよ!
だからあなたを愛する私の愛は天国が恋しかったり地獄を恐れる愛ではありません。
なにかをもらったり、報いを受けようとする心ではなく、
あなたが私を愛したゆえに私もあなたを愛するのです。
永遠の愛である主よ!
だから私はあなたを愛してあなたを賛美します。
愛する主よ!
あなたは わたしの神様であり
私の永遠なる王であります。
✝️万王の王である父なる神様、今日も私の味方で常に私と共にいてくださる神様を愛しています。
永遠だと思っていた財物と権力、名誉と快楽は自分の味方であるようにしばらく留まってから去り、自分が頼りに信じていた人も去るが。神様だけは、いつでもどこでも、どんな状況と環境でも、私の味方になってくださることを信じています。
二人の主人に仕えていた私の愚かさを悔い改めますので、私がいつも神様の味方になるように導いてください。
神様が私にくださった最も大きな祝福であるイマヌエルの祝福に感謝し、心の心配と不安、うれいが消え去り、
神様と共にいつも喜び、つねに祈り、すべてに感謝することのできる信実な僕になりますように。
イエス様の御名でお祈り申し上げます。アーメン。