聖書黙想“3分の奇跡” 2020年5月25日月曜日

🥣2020年5月25日"3分の奇跡"
(一日3分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル:信頼の継承1

 

❤ある家庭の話しです。

 

息子は幼い頃、父の言葉にうんざりしてました。 彼のお父さんは口癖のようにいつもこう話しました。

 

"息子よ、我らが神様を捕まえればすべてを捕まえることになり、神様を逃せばすべてを逃すことだ"。"

 

父は貧しくて子供たちに何も譲る物はありません。そんな父の言葉を にうんざりしていた息子は"私が後で父になったら、子供たちに神様以外は何でもしてあげる"と固く決心しました。

 

やがて息子は成長し、大金をもうけて、子供たちにいいことを全部してあげる父親になりました。

 

一流大学に通わせ、子供たちは出世して社会的に地位も得ました。

 

"もう子供たちをみんな独立させ、年金をもらいながら、余生を何の心配もなく生きてきたある日、体が以前のようではないと感じました。

 

医師は詳しい検査が必要だと言って精密検査を行ない、結果はかなり深刻でした。

 

手術を控えた父は、昔のお父さんの話を思い出しました。

 

"神様を捕まえれば、すべて捕まえられたのだし、神様を逃せば、すべて逃したのだ。"

 

自分の人生を振り返ると、つかんだと思ったすべてのものが、指の間をすり抜ける砂のようにすべてを逃していることに気がつきました。子供たちに無駄なことだけ残したことが今になって後悔するようになりました。

 

父は子供たちに一生の間一生懸命お金を稼いですべてを尽くしてあげたから、彼らは自分の言うことをよく聞くだろうと思っていました。

 

今からでも遅くはない。なんとかして子供たちに神様を語らなければという思いで子供たちにそれぞれ電話をします。

 

忙しい中、電話に出た子どもたちに対して、自分が幼い頃からずっと聞いていた父親の言葉を彼らに伝えましたが、子どもたちは'忙しくてたまらないのに、そんなことを言おうと電話したのか'と叱られ、父親の言葉に耳を傾けてくれませんでした。"

 

あきれた父は、ようやくすべてを失った自分に気づきました。自分も失い、自分の健康も失い、子どもたちまでも失ったのです。

 

神様をつかまずわがままに生きた自分を深く後悔して父を懐かしく思いました。🌱

 

[イザヤ59:21]
「これは、彼らと結ぶわたしの契約である」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない」と主は仰せられる。

 

あなたの口から、あなたの子孫の口から、すえのすえの口からも。神様の話しが伝わって信仰が受け継がれなければなりません。

 

"守先待後"という言葉があります。

この言葉は先代の強みは後代を守ることであり、彼らの長所は伸ばしてたて上げるために、先代の恵みを後代に引き継いでいくという意味です。 

 

[詩編78:6~7]
後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。 

 

"守先待後"のためには、3つの信仰が継承されなければなりません。

 

すなわち、第一に信仰の継承、アブラハムの信仰と従順を継承すること、第二にビジョンの継承、ヨセフのビジョンを継承すること、第三に働きの継承、すべての民族を弟子とする働きが継承されなければなりません。

 

弟子訓練の核心は、福音的信仰の継承で次の世代を育てることです。

 

[ローマ4:16]
そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

 

アブラハムの神様、イサクの神様、ヤコブの神様とは、信仰が子供に、またその子に継承されることを意味します。

 

イサクはレベカを40歳に迎え入れ、60歳にエサウとイサクを得ました。

 

ところで、本当の信仰の継承はなぜエサウではなく、ヤコブでしょうか?

 

なぜ神様はヤコブを通して信仰を受け継がせたのでしょうか。

 

ヤコブはお父さんのイサクとは違って波乱万丈な人生を生きて来ました。 

 

だましと裏切り、愛と憎しみ、落胆と恐れ。彼の人生全体が嵐を起こす海のような人生でした。

 

ヤコブは私たちと似ている人でした。人間的で世俗的な人ですが、神の国の夢を見る人でした。

 

卑怯な方法で兄を騙して兄の長子権を奪ったが、天使と格闘をしました。父を騙しましたが、神様の御声を聞きました。 

 

神様の前に功を掲げるものがない人生ですが、神様はヤコブを通じて信仰を受け継ぎました。

 

聖書は、神様がくださった長子権を売ったエサウについては、"俗悪な者だ"と言いました。彼は目の前の空腹を解決するのに汲々として、天の祝福を軽視したからです。

 

しかし、ヤゴブは天の清い祝福を慕い求めました。神様が許された長子の祝福がどれほど尊いものであるか、その価値を知っていました。

 

我々はヤコブのように尊いものを大事にする人ですか、それともエサウのように尊いものをたわいなく見る人ですか?

 

神様が私に贈り物として与えてくださった子供たちのために、信仰教育を行なっていくことに対して、大したことではないと考えていませんか?


世の中での成績と入試中心の教育をもっと大切に思って暮してはいないでしょうか?

 

地上のもののために天にあるものを失う愚かなことをしていないですか?

 

レンズ豆の煮物一杯に心を奪われて、もっと重要な神様の命令をおろそかにしていませんか?

 

私たちは神様が任せた役目をまともに果たし、幼い子どもたちにどのように信仰をよく受け継がせるのでしょうか? 明日に続きます。(5/24/20週間礼拝説教)

 

♣先代の強みは守り、当代には復興する"守先待後の恵み"を賜り、"信仰継承、ビジョン継承、働く継承"をしっかりと担わせてください。

 

愛する子供たちに霊的な長子権の大切さを悟らせ、子どもたちに"霊的な長子権のバトン"を渡して信仰の競走で勝利しますように。

 

地上の思いによって天にあるものを逃す愚かなことはせず、神様に任せられた役目と使命をきちんと全うできますように。

 

イエス様の御名でお祈り捧げます。 アーメン。