聖書黙想“3分の奇跡” 2020年6月3日水曜日
🏄2020年6月3日"3分の奇跡"
(一日3分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)
4代に続く信仰を立てあげる聖書の暗唱聖句72
C11. 神様を依り頼む - 誘惑から助け1
[ヘブル2:18]
主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
タイトル:サタンの試みで勝つ秘訣
☘信仰で生きる私たちの周りには、常にサタンの試みと脅威が潜んでいます。
信仰生活をよくしても予期せぬ困難、苦難に見舞われた時、サタンは私たちが挫折して再び立ち上がることができず、神様を否定して去るように私たちを試みます。
サタンの試みに陥らずに勝利するためにはどうすればいいですか。
試みを受けて苦難を受けたが神様の恵みで勝利したある姉妹の話しをシェアします。
https: // youtu.be/g6_dRvWm3Sg
❤サーフィンに天才的な才能を持つベソニーは、ハワイのカウアイで生まれ、サーフィンを楽しむ親の影響で、毎日海で遊び、海で学びながら成長しました。
どんな学びよりサーフィンを先に学んだ彼女にとってサーフィンは最高のスポーツであり友達であり、プロサーファーになることが彼女の夢でした。
13歳になった年、ハワイ州決選サーフィン大会に出場した彼女は1位で予選を通過し、世界ワールドカップに入賞して未来が保障された人生を送りました。
ところがある日突然、彼女に青天の霹靂のようなことが起きました。
親友の家族と一緒にサーフィンに出かけ、海の真ん中でサメの攻撃を受けたのです。
彼女は腕ひとつを失い、血液の60%が抜け出たのですが、なんとか命だけは助かりました。
医師が"生きていることが奇跡"と表現するほど、命拾いをして何日もメディアの関心を受けました。
しかし片腕を失った悲しみと崩れた自分の夢で大変苦しい時間を過ごし、信じていた神様を恨みながら過ごしていました。そのうえ、感染と治療の苦痛に苦しみ、一日一日を何とか辛うじて堪えました。
家族と友達の愛の力で再びサーフィンを始めたが、ベサニーは片腕ではバランスがとれず、波を乗り越えることができず諦めました。
挫折したベサニーは、タイへ津波被害の現場にボランティア活動に出かけ、そこで多くのことを悟りながら再びサーフィンを始め、再び試合に出るという目標を立て、トレーニングを始めました。
一般の人もじっと立っていられない波の上で片腕で波に乗りながら、いつ終わるか分からない訓練を続けました。
彼女は事故発生から2年後、再び競技に出て世界チャンピオンになりました。
彼女のこの感動的な実話は映画‘ソウルサーファー'として製作されました。
彼女はこう言います。
“神様に対する信仰があれば不可能はありません。私にこの出来事がなかったら、皆さんの前に立つ機会もなかったはずです。両腕だった時よりもっと多くの人たちを抱きしめるようになって感謝するばかりです。”
皆さんは、このような予期せぬ事故の前でも、信仰を守る自信があるのでしょうか?
ある研究所で"皆さんがもし神様に一つだけ質問できるなら、どんな質問をしますか?"という設問をした結果、1位になった質問は"なぜこの世に苦痛が存在しますか?"だったというのです。
神様は天才的な才能を持ったベッソニーになぜ腕を失う苦難の時間を許されたのでしょうか。
全知全能の神様が生きておられるなら、なぜ事故を避けず、なぜ今すぐ治療してくださらないでしょうか?
私たちは神様の御心をすべて知ることはできませんが、明らかなことは突然の苦難に遭うことによって、傲慢と自慢だけで生きていた私の人生を点検し、単純にし、新しい見方と洞察力を持つようになるということです。
イエス様はサタンの試みを受けました。イエス様は試みを受けるとき、サタンの申し出をきっぱり断って、サタンの試みに勝利しました。
イエス様は世の中で試みと苦難を身近に経験した方なので私たちの弱さをご存知で苦難を受ける者を慰め、助けてくださる方です。
イエス様の勝利は、現実的な利益を得ることで得られるものではありません。神様がくださったのでないなら、世の中のどんなものでも諦めるという、はっきりとした信仰の基準を持っていて、パンよりは御言葉を愛し、人気もなく寂しくても仕える道を選び、それにより勝利しました。
私たちは霊的戦地で暮らしています。サタンは柔らかくて甘く、私たちを誘惑することにより私たちが神様から遠ざけるように私たちの弱点を攻撃して私たちの信仰を試みます。
したがって、我々は"試みに落ちないようにし、悪から救ってください"と毎日主の祈りをもって祈らなければなりません。
神様は私の行く道、私の問題、落胆した私の心、私の状況、子供の問題、健康の問題など私の痛みをすべて分かっています。神様は私たちの小さなうめきまでも聞いて、知らないふりをしてそっぽを向く方ではありません。
試みや苦難そのものは決して良いものではありません。しかし神様は私たちの信仰をもっと強くして人生をもっと豊かにするために苦難を用いたりします。
苦難は信仰の過程であって目標ではありません。我々は苦難の中で強くなり、苦難の中で賢くなり、苦難の中で成長します。
苦難にあった瞬間には、人生がすべて崩れるようですが、後に神様の祝福を経験すれば、有益な瞬間だったことに気づくことになります。
苦難の後には必ず聖なる祝福が待っています。神様は癌もどんな病気も無駄にせず、神様は癒しの手で私たちに触れて、あらゆる状況から守ってくださっています。
神様は子供達にいつも霊的な訓練、敬虔の訓練、お祈りの訓練、御言葉の訓練、信仰の訓練をさせます。真面目に訓練してきた人だけが勝利者になれます。
本当に苦難に遭うと、祈りも賛美も出て来ない時があります。そんな時、その問題が今すぐ解決されなくても神様を信仰で頼って、全面的に委ねなければなりません。
神様が苦難を許す理由は、私たちが全面的にその方だけを見上げる信仰を持たせるためです。
神様はすべての祝福が自分から来るものであることを私たちが悟ることを望んでおります。
試みと苦難がないのが祝福ではありません。試みと苦難がありますが、試みに陥らず、苦難の中でも私と一緒にいてくださる主と共にし、魂の喜びを失わないことが祝福です。
苦難の時間を一人で解決しようとあくせくせずに、主の前に全てを降してください。
[第一コリント10:13]
あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
神様は私たちを死の陰の谷に閉じこめられるように放っておきません。
避ける道を用意してくださり、十分に耐えられるようにしてくださいます。神様はいつも私と一緒におられて緑の牧場と憩いの水のほとりに、義の道へ導いてくださいます。
神様の中にいる時、苦難までも祝福の通路になることを覚えて、私たち皆の人生という苦難の学校で純金のように新しくつくられていきますように。
♣試みから救ってくださる父なる神様、火の燃える炉の練られる過程を通して純金のような信仰で成長させる神様の恵みに感謝します。
サタンの試みを受けてがっかりしている私を憐れんでくださり、慰めてくださり、再び立ち上がることのできる勇気と希望を与えてくださいますように。
苦難の前で神様を恨んだり神様の存在や力を疑うことなく、神様をもっとよりたのみ、もっと祈りを持って神様に近付くことにより私の信仰が成長することができますように。
イエス様の御名でお祈りします。アーメン。