聖書黙想“3分の奇跡” 2020年5月28日木曜日

🏕2020年5月28日"3分の奇跡"
(一日3分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル:私の魂が永遠に住み着く場所

 

[詩編23:6]
~私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 

❤田舎の学校の女先生がクラスの生徒たちを連れて海辺に遠足に行きました。
昼食を食べた後、学生たちに自由時間を与えました。
学生たちはすぐに二組に分かれて、砂の上で土地の奪い合いゲームを始めました。
土地を奪い合い、"お前の土地、私の土地"という言い争いになり、互いに殴り合う争いに発展しました。

 

その時、先生がホイッスルを鳴らしながら"みんなもう家に帰る時間だ"と言うと、けんかしていた子供達は何事もなかったかのように、互いにトントンと叩いて立ち上がりました。

 

子どもたちが先生の号令に合わせて家に帰ると、そこには砂だけが残っていました。

 

やがて神様は私たちに向かってホイッスルを鳴らし、"もう時が来た。私の家へ帰ろう"とおっしゃるでしょう。

 

その時、この地で"あなたの地、自分の地"と言いながら血だらけになるまで戦った我々が持っていくものは何でしょうか?

 

私たちは砂だけを残して帰るようになるでしょう。

 

自分の住んでいる家の注所を知らない人はいないでしょう。しかし、その家が永遠な私の土地でしょうか?

 

永遠に変わらずいつでも休める私の人生の住所はどこでしょうか?

 

いくら華やかで、豪華な家もに引っ越しても、数年住めば、最初引っ越してきた時の感動は消え、毎日掃除しても、古い汚れた人々が集まり、。要らない荷物が溜まります。

 

神様が呼んだら、私たちは世の中での私の土地と私の財物。全部下ろして手ぶらで神様の国に行かなければなりません。

 

私たちクリスチャンには、億万を払っても決して住めないが、いつでも行けるし、永遠に平安に暮らせる永遠の家があります。

 

それゆえ私たちはこの地で生きていますが、決してこの地のものに縛られてはならず、永遠なる神様だけを見つめるべきです。

[ヨハネ10:10~11]

~わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。

 

羊はか弱く、愚かで方向感覚がなく、自己防衛ができないため、牧者なしでは生きられません。私たちも牧師である神様の中にいる時不足はありません。

 

ところで、良き牧者である神様はなぜ一生花道と緑の牧場だけを歩かせず、死の陰の谷を歩かせるのでしょうか。

 

主は私の羊飼いだと歌った詩編23編は、詩編の中で最も甘い詩で、詩編の真珠だと言われるほど美しい田園の詩です。

 

[詩編23:1~6] 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。~たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。~私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

 

この御言葉は、私たちの人生の霊的なオアシスです。恵みの至聖所で、平穏な安息の場であり、真の憩いの場になる言葉です。

 

最も神様の愛をたくさん受けたダビデ、神様の心に適った者だと認められたダビデですが、誰よりも多くの患難と苦痛を受け、真っ暗な死の谷を数え切れないほど通過しました。

 

ダビデは失望と落胆、挫折と絶望の中でも神様の愛と恵みを疑いませんでした。

 

羊飼いが自分の羊の群れを導いて面倒を見るように神様が共にし、守って導いてくださることを疑わなかったため、死の陰の谷でも恐れませんでした。

 

私たちが歩まなければならない人生の道は、荒野の羊の群れのように外部の危険に無防備に露出した所ですが、いつでも神様に出て行けば疲れた魂が蘇ります。

 

だから、死の影の谷は、自分の民を守り、共におられる神様、慈しみと慈愛に富んだ神様をより深く体験する場でもあります。

 

本当に主を深く黙想し、より親しくなる時は、平安な時ではなく、困難な時です。

 

人生が緑の牧場になるためには死の陰の谷が必要です。
だから今緑の牧場だと高慢する必要がなく、死の陰の谷だからと意気消沈する必要もありません。

 

クリスチャンにとって死の陰の谷が絶対に終着駅ではありません。ただ通過する所であるだけです。

 

[詩編23:4]
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても~

 

死の陰の谷はとどまるのではなく"歩くことがあっても"英語ではWalk throughです。

 

困難と苦難と悲劇は通り過ぎることであり、これから緑の牧場に変わっていくでしょう。

 

神様を堅く信じる人はどんな逆境の中でも神様が私と一緒におられると言うことを信じるので、恐れることなく神様を見上げながら隣人の力になり慰めになります。

 

私たちの魂が永遠に留まる住所はどこですか。

 

house of God。主の家が永遠の霊的な住所です。

 

私たちはいつも一様に、主の家にある緑のオリーブの木です。

 

[詩編52:8]
しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。

 

神様の家、おい茂るオリーブの木が私の永遠な住所です。

 

私たち皆は神様の永遠な家に住んで留まり、状況によって一喜一憂せず、一年中おい茂るオリーブの木の人生を生きることを祈ります。

(愛の教会小グループ教材"神様の人ダビデ9課"参照)

 

♣善良き牧者である父なる神様、私を愛して私の弱さをすべてご存知でいつも守ってくださって感謝します。

 

砂のようにむなしい世の中で一喜一憂せず、永遠に生きる神様の家でおい茂るオリーブの木の人生を生かしてください。

 

私は私の進む道をすべて分からないですが、主はご存知ですから一歩ずついつも共にしてくださり導いてください。

 

どんな状況でも一緒にいてくださる主を思い、羊のように主の声だけを聞いて勝利しますように。

 

イエス様の御名でお祈り捧げます。 アーメン。