聖書黙想“3分の奇跡” 2020年9月25日金曜日

🥰2020年9月25日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

信仰の4代を築く聖書暗唱72句
F8. 完全な人格: 関係の完全さ2

 

[マタイ22:37~39]
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

 

タイトル: 隣人を自分のように愛しなさいと?

 

🍀多くのクリスチャンが「愛」という言葉をよく使いますが、実際に愛をどれだけ実践しているのかと尋ねると、人間の弱さを言い訳にして合理化したりします。
昨日の仲間が一夜にして敵になったり、友達や家族が仇になったり、 見なければ終わりだから連絡を切って暮したりします。

 

果たしてどうやって愛を実践しながら生きることができるでしょうか。

 

アメリカのアイオワ州のある田舎であった出来事です。
https:/youtu.be417i40SaTH0

 

🌱ある日曜学校の教師が教会に行く途中、泥沼で殴り合いながらけんかをしている少年4人を見ました。
彼は子供たちを家に連れて行ってお風呂に入れた後に食べ物を食べさせました。
これらの子どもたちは「学習遅進児」、「問題児」、「低能児」、「無意味な人間」などのニックネームを持っていて、学校でも家庭でも捨てられた子どもたちでした。

 

先生はこの子供たちを教会に連れて行って牧師に頼んで日曜学校にこの子供たちのためのクラスを作ってあげたら自分が教師になって教えると言いました。
毎週その先生は、4人の少年たちに聖書を教えました。この少年たちは大きくなって都市に出ました。

 

歳月が流れ、1932年にその先生は日曜学校の教師引退式を迎えました。
多くの弟子たちが席に参加したが、その4人は現れませんでした。
引退式の途中で4通のお祝いはがきが届きました。


一通は中国宣教師から来たもので、一通はアメリカ連邦銀行総裁から来たものでした。
一通は大統領秘書室長から来たもので、最後の一通は米国の31代大統領ハーバート·フーバーから来たものでした。
この四通の手紙を書いた主人公は、かつて泥沼で戦っていた少年たちでした。

 

田舎で愛されずに育った少年4人は、この先生に会うまでは、役に立たない人間として生きてきました。
しかし先生は他の人々とは違って、子供たち通じて神様の形で見て心と思いをつくして愛して最後まであきらめないように勇気と励ましをしてくれました。

 

[第一ヨハネ3:18]
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。

 

私たちは神様を愛していると告白して、捧げ物をしながら賛美しながらも、神様が最も望んでいる隣人の愛にはそっぽを向く時が多いです。

 

イエス様が私たちに命じた一番大きくて一番目の戒めは'愛'の戒めです。

 

神様が私たちに望むことは謙遜に神様を仕え、隣人を自分のように愛することです。

 

愛の出発は関心です。また、愛は相手を心から配慮するものです。
したがって、私たちはイエス様の中で神様を愛し、隣人を愛し、敵までも愛しなければなりません。

 

皆さんは今、許せない誰かがいますか?
敵を愛しなさいという御言葉に、どれだけ従順に暮らしておられますか。

 

最も実践しがたい聖書の一つが「敵を愛しなさい」という御言葉です。


どうして神様はこんなに大変な愛をしなさいと命じられるんでしょうか。

 

[第一ヨハネ4:20]
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えないか神を愛することはできません。

 

[マタイ5:23~24]
だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟にうらまれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。

 

神様を愛すると言いながら兄弟を憎む者は偽り者だと聖書は語ります。
神様がご自分の形どおり創造した兄弟を愛することができないのに神様を愛しているとは言えないです。


キリストの命令に従って愛を実践する時、敵が変わり友人になるという驚くべき出来事が起こります。


愛には怒りと不満を溶かす強力な力があるからです。

 

[箴言16:7]
主は、人の行いを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。

 

クリスチャンは、どんな事情と境遇においても、他人を愛し、祝福して生きる者として呼ばれました。
他の人を祝福することがすなわち私自身が神様の祝福を受ける道です。

 

互いに忙しいという口実で無関心であり、個人主義で索漠としたこの頃をクリスチャンたちの愛の実践こそがこの時代において非常に重要な役割です。

 

我々がイエス様から受けた愛は世界が与える愛とは質的に違うので、我々が受けた愛を伝えなければなりません。

 

イエス様は資格のない我らを先に愛しました。
この愛には容赦と忍耐が含まれています。
またイエス様は十字架を通じて罪人である私たちを救われ、喜びと永遠の命の希望をくださいました。

 

人間の愛は、計算的で外側の条件や内側の気分によって変わり、時間が経てば生ぬるいが、イエス様の愛は決して変わらない熱い愛です。
イエス様の愛は何ものでも断つことができず、死より強い愛です。イエス様の愛は仇でさえも愛する"大きくて広い愛"です。

 

我々はこれほど大きくて驚くべき愛を先に受けた借金を負ってる者です。
私のために祈ってくださった多くの方々、私たちの心に御言葉の種をまいてくださった多くの方々に福音に借金を負ってる者であり祈りに借りがある者です。

 

だから、私たちみんな神様を全面的に愛し、隣人を自分の様に愛する人生、難しいけれど神様の命じられた御言葉に従順な人生を生きることを祈ります。

 

✝愛の父なる神様、私を先に愛して、私のために御子まで与えてくださった神様のその大きい愛に感謝します。

利己的に私だけを思って生きてきた私を悔い改めますので許してください。

まだ許せない誰かを本当に許して愛して祝福を祈ることができる私になります様に、御言葉でとらえてください。

イエス様が私を受け入れ、愛しているように、隣人にもっと仕え、過ちと咎を抱いてあげる愛の関係を築かせていきます様に。

 

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。