聖書黙想“3分の奇跡” 2020年7月3日金曜日

💫 2020年7月03日 "3分の奇跡"
(一日三分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

4代に続く信仰を立てあげる聖書の暗唱72聖句
D8. キリスト弟子の資格:他人に仕える2

 

[第二コリント4:5]
私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。

 

タイトル:私たちが伝えるべきこと

 

☘ 皆さんの幸せの基準は何ですか。

誰かに福音を伝えて、その誰かが変えられることを祈ったのですが、全く変化のないその人のことで挫折したり落胆したりしたことがありますか?


ここに一人の女性の話を通して、私たちが伝えなければならないことが何なのか、一緒に黙想してみようと思います。

https://youtu.be/ffLSTcKs9hc

 

❤一人の女性がいました。
彼女の夫は妻をとても苦しめました。もはや耐えられなくなった女は、死まで考えるようになりました。

 

その時、彼女はある伝道師に会い、イエス様を受け入れ、神様の恵みを悟りました。
それ以来、その女性は周囲の人と一緒に夫が変えられるように祈り始めました。ところが、そのご主人は少しも変わりません。
これを見かねた周囲の人に、今は一人暮らしを勧められるほどになりました。彼らは夫に全てを尽くしたのでこれからは自分の幸せのために新しい人生を生きて行くようにと勧告されました。

 

その勧めを聞いた女性は、こう答えました。

私の人生の幸せの基準は、もはや夫ではありません。夫が変わって私によくしてくれて、他の家庭のように仲良く暮らすことが、私の幸せの基準になることはできません。
私の人生の幸せを判断する基準はただ神様のみです。神様が私の人生を満足させてくださいます。神様は変化した夫と幸せを楽しむことを望まないで神様の愛を知らない夫に神様の愛を分けてあげなさいと語ります。
神様の御心によって神様の愛で夫を我慢して耐えて信じて仕える間、神様は私に天の恵みと祝福で満たしてくださいました。
それで、これからは夫を変えてくださいという祈りを捧げません。

 

今日この瞬間から、私はこうして祈ろうと思います。
“私がまだ罪人であった時、私のために十字架で死なれることにより私を許し、愛したように夫をありのまま愛して、夫に神様のその愛を伝えるようにして下さい。”

私は今日から神様が私の夫を変えてくださいと祈るのではなく、以前と同じように苦しめてもそんな夫に神様の愛を伝えることができるように導いてくださいと祈ります。」

 

しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない。(口語訳)
第二コリント4:5です。

 

もし皆さんは、イエス様が主であるということと、私たちはイエス様のしもべであることを伝えるのではなく、私自身の義を伝えるためにイエス様をしもべにしていませんか?

 

私の名前を明らかにすることに頑張ってはいませんか。

 

福音を伝える時、私たちはよくイエス様の代わりに自分の義を表に出そうとする時が多いです。
福音を伝える時、自分の義を現わして誰かを変えようとする態度は捨てなければなりません。

 

今日多くの人々が人生の正しい方向性を知らずにぶらぶらと暮らしています。
福音こそがこの時代を照らす真の光であり、信じるすべての者に希望と救いを与える神様の力です。
神様の子供である我々は、皆が神様が預けてくださった使命に従順しなければならないしもべです。

 

しもべは仕える者として主人のために存在し、主人のために自分の才能を捧げて熱心に働きます。
仕える者には序列がありません。 しもべには順番がありません。自分より他人を優れて考える人は、自分の優れたことを自慢しません。
仕えるとは、神様の愛する人を十字架の愛で尊重し高めることです。

 

イエス様は主人になろうとこの地に来たのではなく、多くの人々に仕え、しもべになろうとこの地に来られました。
イエス様はこの地の主人です。しかし、主人になるために強制的に奪ったり、強制的に王になったのではありません。
イエス様はまず貧しくなり、先に低くなり、先に空っぽになりしもべになりました。

 

神様が私たちの罪をすべて背負い、痛みを担ってくださったことにより私たちが豊かになったのです。

 

パウロは、自分が神様の哀れみを受けて使徒の役目を受けたと告白します。そして、使徒として落胆せず、恥ずかしさや偽りなく働いて、神様のお話を混雑させもしなかったとはっきりと明かします。
パウロがこのような態度で働くことができた理由は、イエス様だけが主人であり、教会のために仕えるしもべであることを明確に認識したからです。

 

このように、パウロは福音を伝える者として、唯一の救い主が誰であるかを知り、イエス様のために聖徒は完全に仕えるべきことを働きの最優先順位としました。
パウロのこのような態度は、今日を生きる私たちにチャレンジを与えます。

 

これまで私は自己中心的に福音を伝えたり、私の働きの意識で教会に仕えていたりしませんでしたか。

 

私たちは皆、パウロのように常にイエス様が主人であることを認め、教会のためにしもべのアイデンティティを認識し、生きていく主の弟子になることを祈ります。

 

♣愛の父なる神様、福音を伝える者として、イエス様が主人であることと私自身がしもべであることを徹底的に告白しますように。

イエス様ではなく私が主人になろうと努力する領域があるか振り返り、形式的な心や行いで私自身の義を伝えるためにイエス様をしもべとしたのではないか悔い改めます。

すべての人生の領域で主が主人であることを宣言しますように。

口先だけで多くのことのために尽くすのではなく、心を尽くして神様を愛し、主が命を尽くして愛された兄弟姉妹を愛するのにまず信仰の焦点を合わせますように。

 

イエス様の名前で祈ります。アーメン。