聖書黙想“3分の奇跡” 2020年11月5日木曜日

🥭2020年11月05日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

タイトル: 一緒に生きる方法

 

[ピリピ2:3~4]

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。


🍀毎日遅刻をするある学生がいました。
厳格な担任の先生はその学生に毎日ムチで懲らしめました。
たまたま一度でなく、毎日遅刻をするのを見て、時間の約束を守らない不真面目で怠け者の学生だと自分を無視すると思い、その学生があまりにも不埒だったので、ムチを持った手に力が入りました。

 

ある日の朝、その先生は車に乗って学校に出勤していて、いつも遅刻するその学生を偶然見ました。
生徒は一目で見ても病色の濃い父親が座った車椅子を押して療養施設に入っていました。
一瞬、先生はひやりとしました。遅刻は即ち不誠実だと思い、理由も聞かず無条件ムチを持った自分が恥ずかしく自責の念に駆られました。

家族とは父と二人きりで、父を守る立場にある遅刻学生、それに介護施設は開業する時間が決まっていたんです。
学生さんは、療養所の開園時間に合わせて父を連れて行き、100メートル走の選手のように走って学校に来たはずなのに、どんなに速く動いても毎日遅刻するしかなかったはずなのに。


その日もやはり遅刻した生徒は先生の前に来て黙ってふくらはぎを見せました。

ところが、先生はムチを学生の手に握らせて自分のふくらはぎを見せました。

そして、「ごめん、本当にごめん。」という言葉で、その生徒を温かく抱きしめました。 そして二人は一緒に泣きました。🌱

 

[箴言3:13~14]

 幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。


よくEQ(emotional intelligence quotient)を共感指数の指標で「心の知能指数」とも言います。

EQとは、偽りのない自分の気持ちを率直に認めて楽観的な考えを維持できる能力、他人を配慮して共感できる能力、集団の中で調和と協力を重視する能力などで、人間の聡明さはIQではなくEQで表わしていると言いました。
共感能力とは、互いに見る世界が違うということを認めること、異なる観点まで喜んで聞き、尊重したいという心構えから始まります。

 

皆さんの共感指数はどれくらいですか。

 

私たちはそれぞれ自分の考えのフレームの法則に閉じこもり、他人を裁いたり判断したりすることが多いです。
それで、全く同じ状況であっても、どのような枠組みを持って状況を解釈するのかによって、人々の人格を間違って判断します。

 

私たちは実力を重視し、学歴やスペック、認証試験の成績などによって人々の能力を判断したりします。
人によって考えや経験、育ってきた環境が違うので、お互いに違う視点で理解するのは当然です。
しかし、自分の観点だけが正しく、他人の観点は間違っていると主張することが問題です。

 

遅刻をして急いで運転して交通事故を起こしたり、走っていて転んで事故に遭った経験のある人は、他の人が遅刻をしてもゆっくり気をつけてくるよう余裕を持って相手に伝えられます。

自分の家族や知人に自殺した人がいる人は、自殺したら地獄へ行くなどと絶対言いません。

 

ある親は、家に部屋が多いが子供たちに個室を与えず、多くの兄弟と相部屋を使うようにしながら、こう言ったと言います。
「互いの不便を理解し、苦痛を分かち合う心を学ぶことができないのに、将来指導者になった時、どうして他人の苦痛を理解し、痛みに共感できるだろうか」

 

真のリーダーとは、個人的な能力だけが優れているわけではなく、他人を共感的に理解し、神様を尊重し、愛するように他人を尊重し、愛する人でなければなりません。

 

最近は一人でするのが楽で簡単で、一人でご飯を食べて一人で旅行をして一人で暮らすのが流行の時代を生きています。
しかし、我々は『共に生きる方法』を学ばなければなりません。

 

「共に生きる方法」を学ぶ時、最も必要なのは相手になってみることです。
「どうしてあんなことができるんだ。よりは、「そんなこともあるよね」、
「絶対だめだ」ではなく「何か理由があるだろう」「あの人が私にああいう時には何か必ず理由があるはずだ」「あの人の心は今どれだけ辛いだろう?」と変えてみることです。

 

自分の感情を抑えることができないまま、下手に判断して下手な行動をせず、相手が自分になぜそうしたのか、自分の過ちはなかったのか、冷静に振り返る必要があります。
賢い人は知識、訓練、能力、技術の人です。しかし、個人的能力が優れているとしても、神様の忠誠の僕にはなれません。

 

個人の能力は、忠誠の僕の能力3つの中で最も小さいものです。

共感的な理解力とは、人々を理解する関係の能力です。
ここで「理解」は他の人の立場に立ってその人を理解することです。
その人の深い内面に入って、彼の考えを一緒に分かち合い、彼の感情を一緒に感じる能力なのです。


「尊重」は霊的能力で、人間の存在自体に対する畏敬の念を持つことをいいます。
尊重するという意味は、その人の尊厳と大切さを認めることです。
尊重とは、人が評価する通りに人を見ることではなく、神様の目で人を見ることです。
神様はその人をこ愛して自分の一人こさえ惜しまず送り、十字架で犠牲させました。

 

神様の立場に立って人を見ることが真の尊重です。

 

私たちみんな共感能力を高めてお互いに違うことを認め、尊重する私たち、私より
他人を優れてるように思い、他の人々のことを考え、お互い喜びに満ちた人生を送ってほしいです。


♰父なる神様、これまで私のフレームに閉じ込められて他人を裁いたり判断した私を許してくださり、哀れんでくださいますように。

他人の考えと観点を尊重し、互いに共感し、隣人を自分のように愛しなさいという主の御言葉のように自分の人生の中で愛を実践していきますように。

今日一日、誰かに細かい配慮と共感で感動と喜びを与える祝福の通路になるように、些細な言葉と行動一つでも励まし合い、互いに褒め合って祝福していきますように。

 

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。