聖書黙想“3分の奇跡” 2020年10月29日木曜日

⛴2020年10月30日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

タイトル:唯一の命の綱


[ヨハネ黙示録22:13]

わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」


🍀ある大きな船が航海中に波風に遭って、つい沈没してしまいました。
大勢の人が水に落ちて騒いでいるときに、救助信号を受けた救助船が駆けつけました。
救助船の船長は船員たちにある限り綱を全部投げなさいと言いました。
救助船と繋がってる綱が水に落ちた人たちの近くにたくさん落ちました。
この時、救助船の船長が叫びました。
「綱を握る人は誰でも生きられます。しかし、綱を握らなければ死ぬので、早く握ってください。」

すると、水におぼれた人たちは網をつかんで、一人二人救助されました。
ところが水に溺れた人のうちの一人が言いました。
「それは偏狭ですね。どうして必ず綱を握らなければならないし、握らなければ死ぬんですか。それはあまりにも独善的ですね。綱は私のスタイルではありません。それにあの船長が気に入らないです。波風の時に船が沈没しないようによく運転しなければならなかったでしょう。あんな人が投げる綱は信じられません。」🌱

 

[ヨハン14:6]

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

 

この話は比喩のために作った話ではありますが、今日多くの人々が神様が私たちを救うために送ってくださったイエス·キリストという綱を感謝するどころか、船のせいにして船長に悪口を言い拒否しています。

 

[ヨハネ3:16]

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

神様が送ってくださったイエス·キリストは綱です。私たちを天国まで引っ張ってくださる 確実で完全な綱です。
信仰はすぐ握るものです。これは神様の恵みです。ただでくださる愛です。
イエス様を握ることだけが、神様のための唯一の道です。

 

偏狭だの独善だの排他的だのというのは、自分が溺れてることを知らずに言う言葉であり、自分がどれほど危険に陥っていて切迫した状況なのか知らずに言う言葉です。

 

✔神の存在をどう証明できるのか?神はどうして自分の存在をはっきりと現わさないの?

✔神は宇宙万物の創造主だというが、何で証明できるのか。

 

この質問はサムソンの創業主の故イ·ビョンチョル(1910~1987)会長が他界した1カ月前、カトリック教会のパク·ヒボン(1924~88)神父に質問した24項目のうちの1つ目と2つ目の質問です。

 

この24件の質問が書かれた手紙は、パク·ヒボン神父を経て、カトリック大学教授だった鄭義采(チョン·ウィチェ)モンシニョール神父に渡されたが、イ·ビョンチョル会長は、チョンモンシニョールと会う約束ができていた状態で、突然他界してしまいました。


その後、この質問書はあちらこちらに飛び交い、好奇心を刺激する何人かは、とりとめのない返事をつけて、あの世に向かって住所不明の紙飛行機を飛ばしたりしました。


他界1ヵ月前、臨終を間近に控えて、萎んでいく体と我を忘れて投げ出した24の質問が、口車や陰口の談話屋たちのためのものだったのでしょうか?

 

違います。私たち皆のための質問でした。
長い目で見れば、我々は皆、臨終に向かって走っているはずですから、 生老病死の完結版である臨終の前で、あまりにも悲しみ、あまりにも恐怖で、私たちに最も尊い贈り物を残すため、24の質問をしてこの世を去ったと思います。

 

敢えて答えを知ろうとしてではなく、何の考えもなく無意味に生きるか無条件に神様を拒否する人々に'分かるべきことを知ろうとするこそ真の人だ。それでもこの世をうまく生きたなら、少なくとも24の質問の中のいくつかの質問項目はある程度知っていなければならないのではないか。「空の紙だけであの世に行くわけにはいかないのではないか」という警告と、戒めを求めたかったのでしょう。

 

彼が一番知りたがっていた最初の質問である"神"である神様は本当に存在するのでしょうか。

 

神様の存在をどう証明できますでしょうか。どうして神様は人前にじゃんと現れないんでしょうか。

 

[創世記1:1]

初めに、神が天と地を創造した。


この御言葉から聖書は始まります。この御言葉は一つの宣言です。

 

どうか信じてくださいと頼むのではなく証拠物を提示しません。ただ真理を宣言するだけです。創造主が被造物に自分を証明しなければならない理由がないからです。


神様がシナイの山でモーセに現われた時、モーセが尋ねました。
「あなたはどなたですか」
その時、神様はこう答えました。


[出エジプト3:14]

神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」


この御言葉は、自らある者だという意味です。神様は自らおられる方で初めであり終わりであることです。始まりと終わりです。

 

蟻たちに人間の世界をどのような言葉でも理解することができないように、手鏡で世の中と宇宙を込められないように、被造物の立場で絶対者である神を証明することは不可能です。
したがって、多くの無神論者は神は実際に存在せず、人間が必要によって作ったと主張しました。
彼らはすべてのものを物質の観点で解釈して神様も目に見えないから存在しないと主張しました。


もし神様の実在に関する完全な知識が100なら、無神論者はどれくらいの知識を持っているのでしょうか?

 

アインシュタインは自分が宇宙の秘密について1%の半分も知らないと言っていました。
たとえ完全な知識を持っているとしても、神は我々の所有する知識の外に存在します。

 

この世には目に見えなくても存在するものがあまりにも多いです。

 

私たちの周りにある空気、電気、電波、可視光線、赤外線など、私たち人間の目では認識できないものが多いです。

 

神様は御霊なので私たちの目に見えないだけで、いないのではありません。

 

[詩編14:1]

愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行っている。善を行う者はいない。


それでは神様が存在するということを証明することもできない私たちはどうしてその方の存在が分かるのでしょうか。

 

キリスト教の神様が本当の神様であることを表す決定的な証書は、まさに神様が自ら人間に自分を現わしてくださったという事実です。

 

神様は自分に一歩近づく者には二歩近寄り、自分に二歩近づく者には走って来られると語りました。
人類の歴史上、心を尽くし神様を探し求めるために努力した人で神様に会えなかった人はいませんでした。

 

[エレミヤ29:13]

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。


私たちみんなが私を救うために送ってくださった綱をしっかり握って、永遠な命と天国を望み、この地で小さな天国を受けて楽しんで生きていくことを祈ります。

 

(参考にした本: ラ·ウォンギのキリスト教が分かってこそ人生の答えが見える/ 金ジェウクの私がどうして信じなければならないのですか。/ ウ·ジョンハクの無神論記者、クリスチャンの科学者に問い詰める / パク·ヒソクの信念を立てる7つの核心 / イ·ウガクのイ·ビョンチョル会長が残した24の質問に対する哲学的·神学的な名ブランだの返答)


♰アルファとオメガになる父なる神様、天地を創造した神様を知らずに私が知っている知識と経験がすべてであるかのように高慢に生きたことを告白します。

世の中の学問と明日になれば偽りになる情報を学ぶ前に、神様の真理を先に求めて、世の中の楽しみのはかないことを一日も早く悟らせ、神様の御胸の中で真の平安を受けられますように。

 

イエス様の御名でお祈りします。アーメン。