聖書黙想“3分の奇跡” 2020年7月20日月曜日

👀2020年7月20日"3分の奇跡"
(一日三分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル:瞳のように守ってくださる神様(ゼカリヤ講解)

 

[ゼカリヤ2:11]
その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。

 

❤人食い人種に宣教した方達の中にアッセルトという宣教師がいました。
その方が宣教活動をしている最中、人食い人種たちが何度もアッセルト宣教師を連れて行って食べるためにアッセルト宣教師の家へ夜に侵入しました。
しかし夜中、訪ねて行く度に門の前で刀を持って守る人がいました。
昼間は誰もいないのに、夜連れて行こうとすると誰かが刀を持って守っていました。

 

それで怖くて震えてそのまま帰って、またその次の日も来てそのまま帰ったりしました。
おかしいと思った人食い人種は昼間にアッセルト宣教師を訪れました。
“昼間は誰もいないのに、夜になると誰かが刀と槍を持って君を守っている。その人は誰なのか?”

 

人食い人種の問いに宣教師は次のように答えました。
“うちには守る人がいません。”
すると、人食い人種は言いました。
“うそをつくな。一度や二度ではなく我らが君を連れて行って食うために何回も来たが、夜になると刀を持って守る者がいてお前の所へ行くことができなかった。”

 

その時、アッセルト宣教師にはふっと思い浮かぶインスピレーションがありました。
“神様、ありがとうございます。役に立たない罪人を捨てずに守ってくださったことを感謝します。私を守ってくださった神様の恵みに気づかず守る者がいないと言った不信仰の罪を許してください。”

 

アッセルト宣教師は悔い改めと感謝の祈りを捧げながら、いつも守ってくださる神様の臨在に喜びで満たされました。🌱

 

[ゼカリヤ2:8]
主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の主はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。

 

「犯す」という単語はヘブライ語の「ナガ(נְגַע)」で「攻撃する」、「害する」、「叩く」の意味です。
新訳聖書ではこの一節を"…あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ」と翻訳しました。
つまり、神様の民を攻撃する者は神様の瞳を攻撃するのと同じです。

 

私たちは「神様の民」です。 「神様の瞳」なのです。

 

神様が私たちを瞳のように守ってくださるのに何が怖いのですか。

 

信仰者であっても弱ってしまう時があり、それは自分一人ぼっちだと思うときです。
しかし一番強い時は、私は弱いけど神様が私と一緒にいると信じる時です。

 

[申命記32:10]
主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。

 

今この瞬間も神様が私を眺めている愛の瞳を感じてください。
その「愛の瞳」に耳が開けた人には宇宙の充満な愛の交響曲が聞こえ、「愛の瞳」に心が開いた人には、人生の中で神様が歴史の主権者であることを深く悟るようになります。

 

[ゼカリヤ2:10]
シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。―主の御告げ―

 

シオンの娘が歌って楽しめる理由は何でしょうか?

 

第一、神様の臨在のゆえに楽しめます。

 

[ゼカリヤ2:10]
シオンの娘よ。喜び歌え。楽しめ。見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む。―主の御告げ―

救われた人にとって最大の喜びは神の臨在です。

 

第二に、全世界的な救いのゆえに楽しめます。

 

[ゼカリヤ2:11]
その日、多くの国々が主につき、彼らはわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住む。あなたは、万軍の主が私をあなたに遣わされたことを知ろう。

 

第三に、神様の所有のゆえに楽しめます。

 

[ゼカリヤ2:12]
主は、聖なる地で、ユダに割り当て地を分け与え、エルサレムを再び選ばれる。」

 

神様が何が足りなくて所有が必要でしょうか。

 

[イザヤ43:1]
だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。

 

[ゼパニヤ3:17]
あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。

 

神様は '私' という存在だけでも喜んで愛しておられます。このように '私'という存在は神様にとって大事な存在です。

 

第四に、神様の立ち上がりによって喜べます。

 

[ゼカリヤ2:13]
すべての肉なる者よ。主の前で静まれ。主が立ち上がって、その聖なる住まいから出て来られるからだ。

 

神様は我々が攻撃される時も、我々が賛美する時も立ち上がります。
何でもない私をこんなに愛して守ってくださる神様がおられるのでどんなに感謝なことでしょうか。

 

私たち皆が愛の瞳で守ってくださる神様の臨在を感じながら、神様の愛の交響曲と神様の歴史の主権者になることをいつも喜びでたたえることを祈ります。
(7/19/20 日曜礼拝説教参照)

 

♣瞳のように守ってくださる父なる神様、苦難と困難で私が一人だと感じる時、「主の強力な愛の瞳」を感じさせて完全に回復させて下さいますように。

頑丈な城壁で安全に見えますが、一時的で虚しい世界から脱して「奇しくも護衛なさる神様」を不滅の喜びで賛美し、飛翔させますように。

 

イエス様の御名で祈ります。アーメン。