聖書黙想“3分の奇跡” 2020年6月29日月曜日

😂 2020年6月29日 "3分の奇跡"
(一日三分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル:韓国戦争70周年、妬む神様(ゼカリヤ講解2)

 

[ゼカリヤ1:14~17]
私と話していた御使いは、私に言った。「叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。しかし、安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行った。』それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。―万軍の主の御告げ―測りなわはエルサレムの上に張られる。』もう一度叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。『わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。』」

 

❤十数年前、ある執事さんの出来事です。
ある牧師が導く教会の金曜祈祷会に参加することになりました。
ちょうどその日は苦難週で、イエス様が苦しんだ日の夕方だったので、もっと意味のあるお祈りの時間でした。
礼拝堂の中に入ったら、正面に<苦難週の記念洗顔式>と書かれたプランカードが貼ってあったので、「洗顔式」が何なのか気になりながら参加しました。

 

周りを見回してみると、大きな水滴とタオルがたくさん用意されていることから'洗足式'みたいな行事があるかなと思いました。
洗顔式の順序は、水がたまった大きなたらいを持ってたっている教育者の前に二人ずつ一緒に出て行き、一人が他の人の手を洗ってあげながら祝福の祈りをしてまた他の人が相手のために祈ることでした。

 

洗顔式が始まると、導く牧師が、二人ずつペアを組んで立ち上がってくださいと言いました。
よく分からない教会の見知らぬ人々の中で二人ずつペアを組めと言うのに瞬間困った気がしました。
その時、あちらにいたある兄弟が私を見つけ、わざわざ私の隣に歩いてきて『一人ですか』と一緒に祈ろうと言われて、本当に嬉しくてありがたかったです。

 

その兄弟が先に私の手を洗ってくれて、また私を祝福しながらこの様な祈りを始めました。
“神様、愛によって仕える手になるように。祝福する手になるように。祈りの手になるように…”
彼が私のためにずっと祈っているのに私の目から悔い改めの涙が溢れ出ました。ただ流れる程度ではなく、どくどくと降り出しました。

 

私の番になってその兄弟の手を洗ってあげる時は涙で何も言えませんでした。私の涙が祈りでした。
悔い改めの涙、感謝の涙、愛の涙、祝福の涙でした。
私たちだけでなく、四方で互いを許し、和解しながら涙を流す愛と恵みが充満な夜でした。🌱

 

皆さんも最近熱い涙の祈りをしたことがありますか?

 

私を悔い改めへと導いた神様の御言葉がありますか。

咎めと訓戒を受けて悔い改めて立ちかえる勇気は、貴い祝福となります。イエスは、過去から今まで私たちに悟る心と立ち返る勇気をくださいます。

 

若い預言者であるゼカリヤはバサ王ダリヨス2年、BC520年ごろに預言を始め、壊れた聖殿が再建されるまで預言を続けました。

 

イスラエルが聖殿の基礎を築いた後、サマリア人の妨害で長い間聖殿の完成ができずにいた時、ゼカリヤはハガイと共に立ち上がりました。

 

ゼカリヤの名は「神様は覚える方」という意味です。


ゼカリヤは、回復のために悔い改めて、神に立ち帰れという神の御言葉から始まります。

 

難解という本で有名なゼカリヤ書の半分は若い頃に頂いた幻の本(1~6章)で、半分は彼が老いてから頂いた預言の本(7~14章)です。
幻はおもに新聖殿の建築に対する幻であり、預言はおもにメシアの身分と生涯と再臨に関することです。

 

ゼカリヤは若い頃に、一夜にして八つの幻を見ることになります。
最初の幻は「ミルトスの木の間に赤い馬に乗って立つ者」の幻です。 (ゼカリヤ1:7~17)

 

[ゼカリヤ1:8]
夜、私が見ると、なんと、ひとりの人が赤い馬に乗っていた。その人は谷底にあるミルトスの木の間に立っていた。彼のうしろに、赤や、栗毛や、白い馬がいた。

 

一人の赤い馬に乗った者が、谷底にあるミルトスの木の間に立っていました。


赤い馬に乗った天使は旧約に現れたイエス・キリストであり、ミルトスの木は香水を作ることもある「銀梅花」の木で、豊かさと回復を象徴します。
赤色は審判と戦争を象徴し、神様が歴史を審判されるという意味で、谷底は羞恥と恥辱、苦痛と困難の象徴です。

赤い馬に乗った天使が、エルサレムとユダの町々を神様が怒られてからもう70年が経ちます。どうか彼らを哀れんでくださいと訴えました。

すると、主はこう答えられました。

 

[ゼカリヤ1:14~17]
私と話していた御使いは、私に言った。「叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、エルサレムとシオンを、ねたむほど激しく愛した。しかし、安逸をむさぼっている諸国の民に対しては大いに怒る。わたしが少ししか怒らないでいると、彼らはほしいままに悪事を行った。』それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。―万軍の主の御告げ―測りなわはエルサレムの上に張られる。』もう一度叫んで言え。万軍の主はこう仰せられる。『わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。』」

 

私たちがこの最初の赤い馬に乗った者の幻から分かることは何でしょう?

 

神様が全宇宙と世界の主管者であり、神様は世界中をご覧になり、エルサレムの聖戦の回復がなければユダ民族が回復できないように、教会が回復してこそこの民族も回復されるということを知ることができます。

 

神様の関心はいつも自分の民にとどまっています。その暖かい視線は体になる教会に向かいます。


世間は教会に向かって厳しい視線を送り、闇の権勢は神の国を攻撃し、崩壊させようとするが、神は教会を純金の灯台のように尊き扱ってくださいます。

 

主の天使が70年間のイスラエルを哀れんで取りなしの祈りをしたように、わが神様はわが国の分断70年間、私たちのために取りなしの祈りをしてくださっております。

 

良き牧者である神様は誰よりも我が国の分断を悲しみ、我々に戻ってきたら回復するとおっしゃっています。

 

神様はエルサレムとシオンのためにひどく妬む神様です。
神様が私たちをこのように妬む理由は、「我々がイエス・キリストの血潮に基づいた独占的な愛の関係」であるからです。
神様以外のことを愛する時、私たちを妬み、私たちを治します。

 

それで、RTキャンダルはこう言いました。
神様の妬みは、我々の人生で最も良いものを逃がさないようにし、自分を壊さないように助ける安全装置のようなもの。

 

危機を悔い改める機会と捉えることができれば、我々には希望があります。

 

回復の始まりは聖殿の再建です。経済が崩壊し、政治家に望みがなく、教育、文化、マスコミが瓦解しても、教会だけがこの時代の唯一の望みです。

私たちは皆、崩れた聖殿を再建すること、特に目に見えない聖殿である私自身を再建することに集中して悔い改め、神様に立ち返る歴史が立ち上がることを祈ります。

(6/28/20週間礼拝説教参照)

 

♣私たちをとても愛する父なる神様、「70年分断の苦痛に痛めるイエスの心情」を深く悟らせてくださって、21世紀のゼカリヤになって国と民族のために涙で祈る私たちになりますように。

 

危機を悔い改めの機会とし、心の聖殿を再建し、主の国を希望とし、喜んで生きますように。

 

イエス様の名前で祈ります。アーメン。