聖書黙想“3分の奇跡” 2020年6月16日火曜日

🚑 2020年6月16日 "3分の奇跡"
(一日三分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル:悔い改めて帰って来なさい。

 

【エゼキエル18:30~31】
それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはあなたがたをそれぞれその態度にしたがってさばく。—神である主の御告げ—悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。

 

❤ 海難事故がよく起こるある海岸にみすぼらしく小さな人命救助隊がありました。
建物といえば小屋一棟と小さなボートが全てでした。
しかし、献身的な会員たちは、自らの身を顧みず、昼夜を問わず、海を守り、人命救助活動に全力を尽くしました。

 

小さいけれど、立派な救助隊によって多くの命が救助され、救助隊はますます有名になりました。
救助者の数人と近隣地域の人々は救助隊の活動を支えるために時間とお金を提供しました。
新しいボートをもっと購入して乗務員も訓練させました。だんだん人命救助隊には新しく加入した人たちであふれました。
しかし、人々が次第に増えていくにつれ、昔の古い建物と施設としては、もはや彼らを収容することができなくなりました。

 

彼らは、海で救助された人々の避難所になるためには、もう少し居心地のよい場所が必要だと考え、建物を拡張し、より良く、より快適な家具を入れました。」
時間が経たないうちに、そこは人命救助のための場所ではなく、会員のための大衆的な集まりの場になってしまいました。
集まりをより気楽にするために彼らは建物をより美しく装って格好良く飾りました。
会員は人命救助のために海に出る事にはますます関心を持たなくなりました。

 

そんな中、会員の間でもめごとが生じました。
多くの会員は、人命救助活動があまり重要なことではないうえ、クラブの正常な親睦活動の妨げになるとして、変わらない救助活動はもうやめることを望んでいました。
しかし一部の会員たちは人命救助こそ彼らの最も重要な目的であり、存在理由であるため、その仕事を続けなければならないと主張しました。

 

投票の結果、人命救助活動を主張していた人々が敗れ、結局はそこから出て新たに人命救助隊を作りました。
しかし皮肉なことに、数年が経って新たにできたこの人命救助隊も、本来の目的を喪失し、前の救助隊のように、結局、親睦のためのクラブへと変わりました。

 

このような歴史は繰り返されてきました。新しい救助隊が生まれ、彼らも本来の目的を失い、また出来て。
そうする中でもその海では依然として海難事故が頻発し、多くの人が死んでいきました。🌱

 

この話しはセオドア・ウィデルが現代の教会の姿を例えて説明したものです。

 

人命救助隊が本来の設立目的を失い、人々のための親睦クラブに変質させた張本人が、もし私ではないのですか。うちの教会の姿ではないんですか。

 

聖徒と教会が次第に本来の目的を失い、変質しつつある現実を悔い改め、私の姿をもう一度考えさせられます。

 

[マタイ4:23]
イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。

 

イエス様は地上におられる時、教えて、福音を伝えて、癒しました。
これが教会の役目です。私たちがしなければならない使命です。

 

教会が福音を力強く、能力を持って伝えるためには、まず固く閉ざされた教会の扉を開けなければなりません。
門をぱっと開けて神様を失った人々、まだ神様を知らない人々を神様へと導かなければなりません。そして隣人を愛して仕えなければなりません。
世間に向けて開かなければならない教会の扉を閉めておくと、信じない隣人たちの命と魂を救うことができません。

 

世間の人の言葉と非難が怖くて、死んでいく魂を生かさなければ、それは死んだ教会であり、死んだクリスチャンでしょう。

 

福音の門、救いの門を開き、施しと奉仕の門を開かなければなりません。

 

私たちの信仰が実践と伝道に向かって開かれていなければ、私たちの信仰は理論の中で、思考の中で閉ざされた信仰、すなわち死んだ信仰となってしまいます。振り返ってみて悔い改め、帰って来なさいという主の御声を聞き、私の心と考えを開き、我が教会が救われた主の民で満ち溢れて、主が頭になる教会、真の礼拝が息づく教会、信仰の祈りと賛美、御言葉が生きている教会、仕えることや献身が喜びとなる教会と私たち一人一人がそのようになりますように。

 

[ホセア14:1]
イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。

 

[ヨエル2:12]
「しかし、今、—主の御告げ—心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」

 

🎶 賛美:私たちを用いてください。
私たちには願いが一つあります
神様が再び来られるその日まで
私たちの胸に刻んだ主の十字架の愛
私の教会を愛するように
主の教会に向かう私たちの心
犠牲と放棄と仕えと苦難
まして死さえも我らを阻むことができない
我が教会はこの地の希望
教会が教会になるように
礼拝が礼拝になるように
私たちを用いたまえ
真のリバイバルの日
今日臨むように
私たちを用いたまえ
聖霊の中で礼拝する
自由な心で
愛で働く
教会は命だから
https://youtu.be/9AdbM_rZFLg

 

♣父なる神様、悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよと語られる神様の御声を聞き、すべてを悔い改め、神様に帰ってくる働きが起こされますように。

我が教会が御言葉にとらわれた教会になり、教えと学び、福音を伝えることにより、人々の魂をいやす本質に集中出来ますように。

すべての教会が「帰って来たら回復する」というゼカリヤの御言葉の権能の前に伏して、御言葉が起こした回復のプラットフォームになり、時代を一緒に再建する喜びの実を結ぶように。

回復を妨げる障害物である罪に対する主の怒りに気づき、イエス・キリストが私の生涯の全領域を支配出来ないことを悔い改めて帰る時、万軍の主の御名で霊的なエンジンが発揮され、回復されますように。

 

イエス様のお名前で祈ります。アーメン。