聖書黙想”3分の奇跡“2020年7月15日水曜日

💉2020年7月15日"3分の奇跡"
(一日三分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

4代に続く信仰を立てあげる聖書の暗唱72聖句

D11.キリスト弟子の資格:世界ビジョン1

 

[使徒の働き1:8]
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。

 

タイトル:私が存在する理由

 

皆さんは私が誰なのか、この世になぜ生まれ、なぜ生きるべきで、何のために生きるべきなのかと 悩んだことがありますか。

 

聖書はその質問に対して明確に答えてくれます。

 

私がこの世に存在する理由… 何でしょうか。

https://youtu.be/nTY2ILz0sjw

 

❤儒教にルーツを置いた過去の朝鮮社会は、男女差別が激しかったのです。
女性には本を読んだり、文字を習う機会を与えず、男性が居住する空間と分離して主に母屋でのみ生活し、好きに外へも行けず、出て行く時は必ず頭からかぶるスカーフで顔を覆わなければなりませんでした。

 

当時、朝鮮に来た宣教師のスクラントンさんは、女性のための女医と女性専用病院が必要と感じ、メソジスト教会の女性海外宣教部に女性病院を建てるよう要請しました。

1887年10月、女医ハワードさんが韓国に到着し、梨花学堂に韓国初の保具女館という女性専用病院ができました。

ハワードさんは、韓国に来て2年間福音を伝え、最善を尽くして苦しんでいる女性を治療しました。
ところがハワードさんの健康がとても悪化して本国へ帰国することになり、彼の後を継いでシャーウッド宣教師が来ました。

 

シャーウッドさんも最善を尽くして韓国の女性患者を治療しました。
ある日、16歳の少女が病院を訪れました。
彼女はやけどで指3本が手のひらに付いていました。このやけどのせいで少女はお嫁に行くことができませんでした。
シャーウッドさんは少女の指を手のひらから離す手術をしました。しかし、手にはひどい傷跡が残りました。
シャーウッドさんは、皮膚移植手術で少女の皮膚を切り離して少女の皮膚に貼ろうとしました。
しかし、少女と家族は自分の体から皮膚を切り離すことに反対し、皮膚移植についていくら説明しても理解できませんでした。
結局シャーウッドと他の女性宣教師たちはこの少女のために自分たちの肌を提供しました。
これを見た他の韓国人たちも皮膚を提供しました。それから、少女も自分の肌を取ることを許してくれました。
全部で30余りの皮膚移植手術を受け、結果手術は成功しました。

 

シャーウッドさんは韓国人の間で「朝鮮の女性に自分の肌まで切り取ってあげた女性」として知られ、これが韓国人の心を動かしました。
その後、シャーウッドさんは同じ医療宣教師のホールさんと結婚し、一生韓国にキリストの愛を伝えることに貢献しました。🌱

 

厳しい朝鮮の地で、神様の愛を伝えて実践し、あらゆる非難と逼迫にも自分の肌まで切り離すほど献身した多くの宣教師の苦労で、韓国は宣教師を派遣する第2の国家となりました。

この宣教師たちは命まで危険だった当時の朝鮮の地に、自らの安らぎを捨てて何のために来たのでしょうか?

 

証人となった人生、使命を果たすために来ました。

 

“私がこの地にどうして存在するのか? どう生きるべきか?”に対する答えを使命と呼びます。

 

皆様、この地に存在する理由、使命を見つけましたか?

 

神様が教えてくださった私たちの使命はまさに「主の証人」になることです。

 

福音は、私たちを聖徒にしますが、証人の使命は私たちをイエスの弟子にならせます。
私たちは、選ばれた神様の証人であり、イエス·キリストの証人であり、十字架の証人であり、復活の証人であり、福音の証人であり、生活礼拝の証人です。

 

我々は神様の証人やしもべに選ばれる資格がありませんが、神様は罪人である私を選びました。
なぜ、神様は資格のない私を神の証人にしたのでしょうか?

 

神様は私たち皆にそれぞれの計画を持っておられ、使命を与えて下さいました。これが神様の御心であり意志です。

 

主が提示した使命の範囲はどこまででしょうか。
「地の果てまで」です。
地の果てはどこでしょうか。
まさに今私が立っている所だと言います。
私が立っている所で証人になった人生を生きることです。

それで私たちは皆、家庭宣教師であり、仕事の場の宣教師です。

 

私は聖書について何も知らないし、物足りず、弱く、福音についてもよく知らないのに…。 何の証人かって?

 

聖霊様が私と一緒におられるので可能です。
私に能力があるかどうかは重要ではありません。
聖霊が私に力と油注ぎを与えてくだされば、我々はその権能を受けながら働きを果たすことができます。

 

証人になるということは、宣教師を思い浮かべる人もいるでしょう。もちろんそれも含まれますが、平凡な私にできる「証人になった人生」もあります。
私の人生、表情、言葉、行動、人格など。私を通じて人々が感じるすべてのことが証人になるのです。

 

私を通して、人々がイエス様の暖かさと愛を感じなければなりません。
それで「イエス様を信じれば私もあなたのように幸せになれるでしょうか?」と尋ねるように生きることが証人になった人生です。

 

私たちがイエス様に似た人生を生きるためには、必ず聖霊充満が必要です。

 

私たちが救われた民として私の望みだけのために生きていくのではなく、神のビジョン、神の夢、神の計画を一緒に成し遂げていく働き人として、私たちの人生が最も美しく用いられるようにすることです。

 

我々は皆、神様から授けられた使命であり、自分の人生で主の証人になる人生を生きて、主の称賛の言葉をたくさん受けることを祈ります。

 

♣国々の主人である神様、厳しい朝鮮の地に、あらゆる非難と逼迫の中でも主の証人となった人生を生きてきた宣教師の献身と愛と涙に感謝いたします。

苦痛の中にいる隣人、寂しさで憂鬱な隣人たちに暖かい手を差し伸べ、愛と敬いを通して喜びと慰めを与える祝福の通路になるように導いてください。

行くなり行かせるなり私自身が立っている所を地の果てであると思い、宣教師としての人生を実践させ、命を冒して宣教現場に出ている宣教師たちの家庭と働きのために毎日祈らせて下さい。

 

イエスの御名によって祈ります。アーメン。