聖書黙想“3分の奇跡” 2020年9月7日月曜日

📯2020年9月07日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル: いちずな純金の燭台1

 

[ゼカリヤ4:10]
だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか。これらは、ゼルバベルの手にある下げ振りを見て喜ぼう。これらの七つは、全地を行き巡る主の目である。」

 

❤️ある日有名な指揮者マイケル·コスタは、オーケストラの練習中に突然、楽器一つが静かになったことに気づきました。
どういうことかと思って調べてみると、木管楽器のピッコロを演奏する人が演奏を止めてじっとしているのでした。
おそらく、荘厳なオルガンと雷のようなドラム音が鳴り響いていて、自分一人ぐらいは音を立てなくても指揮者が気づかないと思っていたようです。
ピッコロ奏者の心に鋭く気づいた指揮者は突然こう叫びました。

 

「ピッコロ、一体どこにいるんですか!」 あなたがいることでオーケストラが生きているので自負心を持ちなさい。ピッコロ! あなたがいることでオーケストラが生きるんだよ。"🌱

 

[ゼカリヤ4:9]
「ゼルバベルの手が、この宮の礎を据えた。彼の手が、それを完成する。このとき、あなたは、万軍の主が私をあなたがたに遣わされたことを知ろう。

 

私たちがこの世に存在する理由は、神様が今この場に私たちが必ずいなければならないと思うからです。

 

皆さんの中で、能力も資格もないので、この世で役に立たない人だと思っていますか?
自分自身があまりにも小さくてみすぼらしいから、私の存在感がないだろうと思いませんか?

 

全然そうではありません。私によって私の家庭と職場と組織が生き返ります。

 

神様は「小さなこと」で大きな働きを成すので、「小さい」と軽く見てはいけません。
五つのパンと二つの魚を通して神様が奇跡を行ったように、「世間の人々が思うのに小さくつまらない中でも、神様が働けば、大きくて偉大な働きが生まれます。
だから「クリスチャンの人生」は、一種のモザイクのように人生の「色んなかけら」が集まって信仰の作品を成すのです。

 

芸術家である神様は何でもない私を神様の御手で直接作って名品モザイクで再創造してくださいます。

 

ゼカリヤが見た純金の燭台の幻によって、当時のイスラエルの民は様々な障害物を突破しました。そうであるように, 私たちも神様が与える御言葉を通じて時代の障害物を乗り越えなければなりません。

 

[ゼカリヤ4:7]
大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」

 

ここで「大きい山」とは、多くの難題、つまり神様の御心を阻止するすべての敵対勢力のことです。

 

純金の燭台に「油」が注がれ続け、燭台が燃え続けたように、大きな山のような難題は「主の霊」「聖霊様」で解決されます。

「油」は癒しと光と喜びを象徴します。

聖霊の油注ぎで癒やしが起き、光が明るくなると同時に真の喜びが生まれるのです。
どんなことも聖霊の油注ぎなしには可能なことはありません。
したがって、真の信仰生活は「最善を尽くす人生」で十分なのではなく、聖霊の新しい油で全身が満たされなければなりません。

 

人生の道が大きな山に遮られているとしたら、自分の力と知恵、能力で大きな山と戦うのではなく、聖霊の油注ぎで満たされて乗り越えなければなりません。

 

私たちは皆、聖霊の油注ぎで癒しと光と喜びが満ちることを祈ります。(9/6/20 日曜礼拝説教)

 

♣️私をこの世に存在させてくださった父なる神様、私の存在理由を悟らせて下さったことに感謝と賛美をお捧げします。

私の人生が壊れたり、割れてこな粉になる時、神様の御手で私を名品モザイクで再創造してくださいますように。

私の人生の全領域で「聖霊様の新しい油」で満たされますように。そして、私を遮っている大きな山々が崩れ、癒しと光と喜びで主の恵みを受け取る祝福に預からせてくださいますように。

 

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン 。