聖書黙想“3分の奇跡” 2020年9月1日火曜日

🕎2020年9月01日「3分の奇跡」
(1日3分の聖書の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル: 純金の燭台2

 

[ゼカリヤ4:4~6]
さらに私は、私と話していた御使いにこう言った。「主よ。これらは何ですか。」私と話していた御使いが答えて言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。

 

❤江原道の炭鉱村に一人の少年が住んでいました。少年は一日中友達と遊び回って、美しい光を放つ宝石のような石を拾いました。
いつのまにか日が暮れて炭鉱から父が帰ってくると少年は誇らしげに光る石を差し出しました。
そして、誇らしげな表情で言いました。
「お父さん、これ見てください。きれいでしょう。友達と一緒に遊んでいて拾いました。私も大人になったらこんな宝石のような人になりたいです。いつもこんなに輝く宝石のような人です。」

 

それを聞いた父は、しばらく少年を見つめ、窓辺に凝っている燭台の方に歩いていってマッチで火を灯しました。すると暗かった部屋が明るくなりました。

父は少年に燭台の灯火を見せながらこう言いました。
「ねえ、宝石のような人より、こんな燭台の灯火のような人になってたらいいなぁ。」


少年は風が吹く消えるような燭台の灯火のようない人になりなさいという父の言葉がよく理解できなくて、きょとんとした表情をしました。

 

すると父が丁寧に説明してくれました。
「息子よ、宝石は明るい光の下でしか美しさを発揮できない。光の力を借りて光を出すのは本当の光ではない。「お前は、燭台の灯火のように世の中が暗い時は、自分の体を燃やして、世の中と人の胸を明るく照らしてくれる人にならなければならない。
多くの人が暗闇の中で寂しがり、苦しみながら生きているんだよ。そのような人々に、燭台の灯火になって暖かい愛で包み込み、友達になって助けの手を差し伸べ痛みをいやす人になる時、世の中は美しく幸せな世の中になることができるんだよ。」🌱

 

私たちは宝石のように輝く人、自分を輝かせる人になろうと努力しています。
しかしイエス様はこの世の光として来られて、自らをろうそくの灯のように燃やしながら、死の陰と闇に座っている人に真の光を照らしました。

 

イエス様は私たちを救って祝福するために十字架を背負い苦難に遭いながら世を照らす燭台の灯火になりました。


皆さんはどんな人になろうと努力していますか。

 

[ゼカリヤ4:1~3]
私と話していた御使いが戻って来て、私を呼びさましたので、私は眠りからさまされた人のようであった。彼は私に言った。「あなたは何を見ているのか。」そこで私は答えた。「私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります。その上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、この上部にあるともしび皿には、それぞれ七つの管がついています。また、そのそばには二本のオリーブの木があり、一本はこの鉢の右に、他の一本はその左にあります。」

 

御使いが現れ、ゼカリヤを呼びさまして純金の燭台を見せてくれました。
ところが、その純金の燭台は、油がずっと供給されていて消えませんでした。


旧約では、幕屋と聖殿において人間の祭詞長が燭台の灯火を消さなくしましたが(出27:21)、ゼカリヤが見た燭台は、二本のオリーブの木から油が供給され続け、消えなかったのですから、 純金の燭台が照らす場所は「生きている区域(Living Quarter)」です。

 

教会は、生きている神様の光を照らす区域にならなければなりません。


七つの灯は七つの教会です。

[黙示録1:20] ~七つの燭台は七つの教会である。

 

純金の燭台はイエス·キリストです。

[ヨハネ8:12]
イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」

 

世俗の強風が吹きつけるこの世の中で、教会だけが罪と悪に捕らわれた魂を十字架の福音で救うことができる所です。これは妥協のない純金の燭台の使命です。

 

我々は教会を守る純金の燭台です。
私たちは油を貯蔵するだけでなく、神様から供給された油を燃やして光らせる燭台にならなければなりません。

 

純金の燭台として光を照らす使命に全うするためにはどうすればいいでしょうか?

 

第一に、遮断幕を取り除きます。
どんなに明るい光でも遮断幕に隠れていれば光を放つことができないように、私たちの罪の遮断幕があれば、使命を全うすることができません。
私たちは全員罪人ですが、同じ罪を繰り返すなら純金の燭台としての役割を果たすことはできません。したがって、我々の過ちを悔い改め、罪の遮断幕を取り除かなければなりません。

 

第二、目を覚まさなければなりません。
怠惰な眠りから目覚めなければならず、酒酔いから目覚めなければならず、誘惑の眠りから目覚めなければなりません。

 

何のために目を覚ますべきでしょうか。
神様と向き合うために、試みに会うことのないために、真の賛美と祈りをするために、義を行い罪を犯さないために、目覚めなければなりません。

 

主日礼拝は油の鉢に油を供給される時間です。
礼拝は「観覧して視聴」する時間ではなく、神様に「完全に捧げなければ」という時間です。

 

きよい習慣をつけるのは難しいですが、身についた習慣が壊れるのは一瞬で、回復するのは簡単ではありません。


当分の間はオンラインで礼拝を行うしかない状況ですが、本来捧げる礼拝時間に、心を込めて神様に捧げる礼拝を行ってください。

 

純金の燭台が装飾品ではなく、コロナ時代を生きていく私たちに生命力のある暮らしの指針となることを願います。 (8/30/20 週間説教礼拝)

 

♣光として来られた父なる神様、光であるイエス様が'永遠の純金の燭台'で来られて私たちの中で働いてくださる時、'御言葉を食べる喜びと楽しみ'で苦痛を受けている世の中を癒し、霊的戦争で勝利していきます様に。

「燃える純金の燭台の使命」に従い、血潮の福音を大胆に宣言する時、行く先々で罪の遮断幕が取り除かれ「生きている命の区域」に変えられます様に。

教会が神様から供給される油注ぎで栄光の礼拝を捧げる時、世界教会が怠惰と無気力の眠りから「直ちに、完全に!」目覚めさせられます様に。

 

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。