聖書黙想“3分の奇跡” 2020年9月2日水曜日

🧠2020年9月2日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)

四代に続く信仰を立てあげる聖書暗唱72聖句
F1. 完全な人格: 思考の完全さ1

 

[ローマ8:5-6]
肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

 

タイトル: 自分を生かす考えで自分の考えを支配する

 

🍀私たちはいつも考えながら生きています。
思考は行動を生み、行動は習慣を作り、習慣は一人の運命を左右するものです。
ですから、考えることをどうするのかという問題は、一人の人生において非常に重要だと言えます。

 

私を殺す考えがあり、私を生かす考えがあります。
ある老紳士のお話をお聞かせします。
https:/youtu.bef_jP1TKxmac

 

❤C.S.ルイスの『スクリューテープの手紙』に出てくる話です。

イギリスのある老紳士がある日、大英帝国の図書館に行きました。
いろいろな本の中で手に取った本が信仰に関する本でした。
その本を読んでいるうちに彼の心の中に急に神様に関する考えが芽生え始めました。

 

神様はどんな方だろう?
「私はあの方とどんな関係を結べばいいのかな?」
こう思っているんですが、 その瞬間、サタンが尋ねました。
サタンは、この老紳士の心に、こう言い出しました。
「お昼の時間だよ。何をそんなに深刻に思うの?」

 

その瞬間、この老紳士は少し前にしようとした神様に対する考えをやめて食堂に行きました。
お昼ごはんを食べていて、急にまた神様のことが心の中で起こり始めました。
「神様は本当に生きていらっしゃるのかな?私はその方とどんな関係を結べばいいのだろう?」
こういう考えに浸っていると、 サタンがまた現れたので言いました。
「ご飯の時間に何をそんなに頭を悩ませて考えてるの?まず食事を終えて後で悩んでね。」

 

彼は食事を済ませました。再び神様に対する考えがかすかに出てこようとしました。
しかし老紳士は、サタンの働きによってこう言いました。
「人生ってそんなもんだよ。この年で人生の道を変えるって簡単じゃないし。今日はとても疲れたから家に早く帰ってゆっくり休もう。」

 

彼は外に出てバスに乗りました。バスの座席に座って新聞を読みながら、何事もないように何の挑戦も、何の経験もしなかった人のようにいつもの通りバスに乗って家へ帰りました。
その老紳士の後ろでサタンは快心の笑みを浮かべました。

 

[マルコ4:15]
みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです—みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。

 

道端は人々がたくさん通うところなので硬くなっています。
道端に蒔かれた種は根を下ろす間もなく、鳥たちが飛んできて拾って食べてしまいます。

 

これは傲慢で頑固な心によって福音、すなわち天国の秘密を全面的に否認して受け入れない人々のことを言います。
彼らは心を開かず、自ら目と耳を閉じたため、根を下ろすことができず、奪われるしかありません。

 

固まった土地のように多くの人々が自分自身の哲学と価値観を持って神様の御言葉を完全に受け入れることができず、説教を聞いたり聖書を読む時は感動を受けますが、数日しか続けません。
また昔の習慣に戻ってしまい、些細なことで試みに入り、信仰から離れることがしばしばあります。

 

[マタイ13:20~21]
また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

 

岩地は根を深く下ろすことができないので、話を聞く時は喜びとして受け取りますが、信仰生活に困難なことが起こったり、迫害が起こったり、誰かに傷つけられたりすると、すぐに信仰が変質するようになります。

 

クリスチャンとして生きるのが不利だと感じたり、御言葉によって生きるのが大変だと思った瞬間に背を向け始めます。
イエス様を信じる者としての忍耐と献身, 決断は負担であり, 聞きたい御言葉だけ選んで聞きます。


私たちの肉体は私をより楽に、より楽しく、より豊かにすることを望みます。
それゆえ、私の肉体を苦しめること、苦しめる状況が展開されれば、それが真理なのかどうかを確認せずに楽なことを探して未練なく去っていくことになります。

 

多くの人は、見えない根っこよりも、目に見える茎や枝にだけ気を使います。

罪の本性に従って生きる人々は、キリスト教の真理については関心がなく、ただそれが私にどのような利益を与えるかについてのみ関心があるだけです。
しかし神様は人をうわべや外見で判断しないで、心の中心を見て、私たちのルーツがどれほど堅固かを見ます。

 

聖霊の人は神様の強い御手と御腕に頼って外見よりは根っこに気を使い、どんな厳しい環境の中でも神様を頼り神様の働きと力を信じて生きていきます。

罪の本性に従って生きる人々はサタンが望むことを考えますが、聖霊に従って生きる人々は神様が望むことを考えます。

罪の本性に支配される者の考えは死ですが、聖霊に支配される者の考えは命と平安です。

 

キリスト教は真理です。真理は良いことなら良いよというふうに、不義と世の中と妥協しません。
私たちが神様の御言葉の通りに生きていくことを願うので、世の中との妥協を断る時に非難を受け、隣人にいじめられて大きな痛みを受けるかもしれませんが、これがまさにキリスト教です。
私たちが内面の根を深める道は、名ばかりの宗教家ではなく、生ける水であるイエス様に深く根を下ろす名実相伴う信仰者として生きていくことです。

 

私たち皆、内面の根を深くおろし、世界のいかなる狂風にも立ち向かえる「霊的筋肉」を鍛えることを祈っています。

 

♣真理である父なる神様、神様が与える恵みの御言葉を聞き、聖霊の支配を受け、命と平安を受けていきますように。

サタンの誘惑に惑わされないように常に目を覚めて御言葉で武装して完全な人格に成長できますように。

私の心をにぎってくださって、小さな風でも揺れる信仰にならないようにしっかりと主に握られますように。

周りの人々の声、悪の霊に惑わされず、ただ主に集中させてくださって、肉体の安らかさと楽しさだけを求め、私の有益だけのために信仰生活をすることのないように助けてください。

 

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。