聖書黙想“3分の奇跡” 2020年8月21日金曜日

⛪2020年8月21日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの生に奇跡を体験してください!)

 

四代に続く信仰を立てあげる聖書の暗唱72聖句
E10.キリストに似る:信仰2

 

[ローマ 4:20-21]
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

 

タイトル:最近、信仰が揺らいでいますか。

 

このごろ皆さんの信仰生活はどうですか。

過去には、熱心に教会に通ったり、イエス様を信じていましたが、今は少し遠くなりましたか?
世の中の人々が悪口を言って非難するから、クリスチャンであることを堂々と言えませんか。
皆さんが信じるものは何ですか。
みなさんは神様を信じますか、それとも神様を信じる人を信じますか。
今私自身の信仰が揺らいでいたら、その理由は何でしょうか?

 

今日はローマ書4章20節~21節の言葉で黙想します。
https:/youtu.beyy0H4hLGp80

 

❤あるミッションスクールで礼拝の授業に出席しないある学生がいました。
先生はその学生を呼んで相談をしました。

「なぜあなたは礼拝の時間に出席しないのですか」と聞くと、学生はそれなりの論理を立てて弁解しました。

「私は聖書の御言葉を読んでもまったく理解できません。それで私は聖書の御言葉を信じることができません。聖書の御言葉を信じることができませんので、私は礼拝に参加しません。」

 

その時、先生はその学生の話を聞いてその学生の問題点が何なのかを把握しました。それでこのように言いました。

 

「今君が言ったことを一言も漏らさずに逆に一度言ってみなさい。」学生はじっと考えて、もじもじしながら答えました。

 

「私が礼拝に参加しないので、聖書の御言葉を信じることができないし、私が聖書の御言葉を信じることができないので、聖書の御言葉を理解することができません。」

 

先生はうなずきながらこう言い聞かせました。

 

「まさにそれだ。 君が礼拝に出席しないから君に信仰ができるはずがないんじゃないか。信仰がないから御言葉を読んでも理解できないんだよ。これからは礼拝に熱心に参加しなさい。そしたら君にも信仰の芽が出てくるでしょう。信仰が生じれば自然に聖書の御言葉が理解できて分かるんだよ。」

 

[ローマ10:17]
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。

 

そうです。信仰は礼拝を通して成長し、聞くことによって知っていくものです。
聖書は頭で理解し、目で見る前にまず信仰を強調します。

 

[使徒16:31]
ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

[ヨハネ3:16]
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

聖書の御言葉をどれほど信じてますか?
皆さんは神様の約束を全然疑わずに全部信じてますか。

聖書はこのように完全に信じられず、疑い深い私たちのためにこのように強調してくださいました。

[創世記18:14]
主に不可能なことがあろうか。~

[マルコ9:23]
するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」

[ローマ4:18]
彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。~

[ヨハネ14:14]
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。

[ルカ1:37]
神にとって不可能なことは一つもありません。

[ヤコブ1:6]
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。

 

私たちが神様を信じるなら、そして本当に愛するなら、私の祈りの答えに関係なく、いつも神様を信じて愛するべきです。


私たちが神様を信じる理由が何ですか。

 

一番大きい理由は神様が私のために十字架で死んでくださり、罪から救ってくださり、永遠の天国へと導いてくださるからです。

 

人々は信仰が揺らいで、信仰が成長しない理由をこう説明します。

 

ある信者が自分に被害を与えたからだと。
牧師が自分の世話をしてくれなくて傷ついたからだと。

教会に通っても相変らず大変な環境のためだと。
一生懸命祈ったのに試験に合格できなかったからだと。
献金をしたのにビジネスがうまくいかないからだと。

 

誰々のせいで、何かのせいで、しかしこのような言い訳が本当に信仰が揺れた理由でしょうか?
本当の理由は何でしょうか。

 

私のような罪人を生かしてくださった救いの感激と、初めの愛の感動を忘れてしまったからです。
世の中を愛する心がイエス様を愛する心より大きいからです。
世の中のことで忙しすぎて聖書の御言葉を読んで黙想し、祈る時間がないからです。
優先順位に押されて、神様との一対一の真剣な関係を失ったからです。
御言葉(説教)を聞く時間をおろそかにするからです。
小グループの集まりを抜けて、まことの信仰を持つ人々との交わりがないからです。
罪を犯して悔い改めないからです。
人や環境だけを見つめて神様を見つめないからです。
私たちの祈りがどれほど素晴らしい祝福の源泉であるかを忘れたからです。


祈りは先の苦難を予防する最上の予防道具であり、現在の苦難を祝福として逆転させる最上の盾です。
今私に大きな祝福があるとしたらそれは過去に祈ったからであったり誰かが私のために見えないところで涙をもって祈ってくださったおかげでしょう。

 

祈りには外傷がありません。
祈りは天の門を開く祝福の黄金の鍵です。
私たちはどんな場合にも祈りの生活が揺り動かされてはなりません。

 

忙しい時、疲れた時、元気な時、高い席にいる時、楽な時。もっと祈らなければなりません。

祈りを放棄すると、私の魂に穴ができ始めます。その時から、サタンや不幸がいつの間にか訪れ、我々の魂を揺さぶることになるでしょう。

 

祈りはただ何かを得ることに止まるのではなく、生きている神様を発見し、霊的な世界を見る目を持たせます。

 

祈りには偉大な力があります。 私たちが落胆することなく神様に向かって切なる祈りを捧げる時、サタンの陣が崩れて天の門が開くようになるのです。

 

世の中で祈りの代わりになるものは何も存在せず、祈りを捧げないところには神様の力が現れません。

 

私たちは皆、今すぐ報いや答えがないからといって残念に思ったり気落ちしたりせず、必ず答えてくださる神様とその力を信じて、喜びがあふれる人生を送ることを祈ります。

 

♣全能な父なる神様、まず神様の国ということに最優先順位を置き、神様をまず何よりも見上げ頼りとし、どんな嵐にも揺れ動かない信仰を持って、神様が喜ぶ信仰生活を遅れますように。

初恋と初心を忘れず、神様の前と人の前で、正直で純潔な人生を通して、神様のために大切に用いられる幸せなクリスチャンとして生きられますように。

 

イエス様の御名でお祈りします。