聖書黙想“3分の奇跡” 2020年6月19日金曜日

🍎 2020年6月19日 "3分の奇跡"
(一日三分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

4代に続く信仰を立てあげる聖書の暗唱聖句72

D4. キリスト弟子の資格:罪から離れる2

 

タイトル:世の中の誘惑に陥らない秘訣

 

[ローマ12:2]
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 

☘人間の最も悪い習性のひとつは、今までやってきように同じく生きようとすることです。

 

新しい変化を嫌い、挑戦せず惰性に浸って現実に安住するのです。
世の中は急激に変化しているにもかかわらず、私の考えは依然として過去の習慣のまま生きていませんか?

 

我々の健康な信仰生活を妨害するこの3つの誘惑、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢の中で皆さんはどのような誘惑に最も弱いですか?

 

私たちの弱点を攻撃する世の誘惑に負けまいと、どうすればいいですか。

 

ある中学校の先生の話しをお聞かせします。
https://youtu.be/I-UJtieT0y8

 

❤ある中学校の先生が校長先生を訪ねました。

そして自分が今回の昇進で落ちたことについて不平を言いながら問い詰めました。

“校長先生、私がこの場所に何年間いたか知っていますか。実に25年間もいました。なのにどうしてこんなに昇進ができないんですか。なぜ?”

 

すると、校長先生はこう答えました。

“先生、先生は計算を間違えましたね。先生はその場所に1年しかいませんでした。それなのに、この1年を25回も繰り返していらっしゃるんですね。”

 

一年が過ぎれば、成長と発展と変化があるはずなのに、25年前につくった講義ノート一冊で25年間同じことを繰り返しているという、その先生の怠けさと慢性と惰性を叱責されました。🌱

 

この先生の姿がもしかしたら私の姿ではないでしょうか。

 

我々も惰性に浸り、自分は変化せずに他人を批判し、新しいことを考えることができず、過去から今まで生きてきた通りに、世の中と妥協して罪と妥協しながら生きているのではないのでしょうか。

 

旧習に従う昔の人を脱ぎ捨て、新しくなるためにはいろいろな勇気と決断が必要です。

 

罪を断つ勇気、健康な信仰生活を妨害するものを捨てる勇気、主のために私の時間と才能を捧げる勇気、サタンの誘惑を思い切り追い払う勇気などです。

 

美しい花が満開の花壇を台無しにするにはどうすればいいですか。
何の手間もせずに簡単に台無しにしてしまう方法があります。
まさにその花壇をそのまま放っておくのです。
そうすると、すぐに雑草が生い茂り、虫がわいて自然に荒廃します。

 

どうすれば私の人生を駄目にできますか。

 

悪い世の中が動くままに、ただ私を任せておけば自然に台無しになるでしょう。
酒と博打、快楽を追いかけて放蕩生活すると、すぐに心と体がすべて疲れて倒れるはずです。

 

また私の魂をどうすれば壊すことができますか?
神様の存在および、命であり、 真理であり、道であるイエス様を徹底的に退ければいいのです。
神様がおられないかのように生き、自分の肉がしたいようにすれば、私の魂は無残に壊されるでしょう。

 

神様が私たちにくださる一番大きな罰が無関心だそうです。

 

礼拝もしない、祈りもしない、何事もしなければ、それは祝福ではなく神様の懲らしめなのです。

 

[ローマ12:2]
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 

聖書はこの世と調子を合わせてはいけませんと語りますが、「この世と調子を合わせるということ」とはどういう意味ですか?
「この世と調子を合わせること」は、新しく変化することなく惰性に浸って安逸になり、形式的な信仰生活を送ることです。

 

形式主義は私たちが簡単に抜ける落とし穴です。
信仰生活を一つの「義務」と考え、見せることだけに励み、自分の作った宗教のスタイルの枠組みによって他人を裁き、比較し、判断し、叱責します。
その中には愛と喜びはありません。「主が最も責めたのは、まさに形式主義に陥っていたパリサイ人たちでした。

 

また、この世と調子を合わせるとは「感情的な信仰生活」をすることです。
感情の上がり下がりがひどくて恵みを受ける時はすぐ熱くなり涙で祈って感謝しますが、まもなく恵みが冷めるとすぐ冷めて沈んでしまいます。
他の人々の言葉、確認されないままインターネットに飛び散る偽りのトリック、サタンがばらまく噂に陥り、非聖書的でかつ否定的な信仰生活を送ります。

 

神様の視点で見ることができななり、世的な視点でしか見ることができなくなるのです。

 

また、この世と調子を合わせるとは「人本主義」の信仰生活を送ることです。
人々の信頼と人気を受けようと努めます。主が主人ではなく私が主人です。
神に栄光を捧げることではなく、自分自身の栄光を現わし、自分の名前が現れることに執着することです。

 

人々の認知はますます大きくて多くのものを要求します。
人はあくまでも恵みの通路であって恵みの源泉ではありません。恵みと認知の源泉はただ神です。

 

この世と調子を合わせずに生きようとしたら、どうすればいいのでしょうか。

 

神様の御心をわきまえて毎日新しくなるためにはどうすればいいですか。

 

第一、神様の御言葉にのめり込むこんでしまうことです。
サタンは断食のお祈りを終えたイエス様を試みました。その時イエス様は御言葉でサタンを退け、勝利されました。

 

サタンが“この石にパンになれと言いつけなさい”と肉の欲で試すと、“人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによると書いてある”と答え、申命記8:3の御言葉で退けました。

 

[申命記8:3]
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。

 

“聖戦から飛び降りなさい。それを見た人々は拍手を送るだろう。” 目の欲で試すと“あなたの神である主を試みてはならないとも書いてある。”と語って申命記6:16の御言葉で退けました。

 

[申命記6:16]
あなたがたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。

 

“もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。”という暮らし向きの自慢で試すと、“引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。”という申命記6:13で退けました。

 

[申命記6:13]
あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない。

 

このように聖書にすっかりのめり込むと、すべての瞬間、神様の御言葉がコンパスとなって、神様が喜ぶ選択をすることができます。

 

聖書にすっかりはまると、神様の御心を見分けられるようになります。

 

また、私が私の人生の主人ではなく、「管理者」であることを悟ります。

 

私が私の人生を引っ張っていくと思ったら疲れる人生ですが、与えられた人生だと思えば心が楽になります。
私たちはただ私たちの人生を代りに任せられた者として暮らす管理者です。管理者は主の御心を全部知りませんが、主の御言葉にのめり込んでしまうなら、残りは主が働いてくださいます。

 

第二に、聖書の真理が、我々の人生の無意識の領域を支配するようにしなければなりません。
我々が意識を持って、すべての生き方を決定することはできません。
無意識にも神様の御心どおりに生きなければならないのに、そのためには聖書の暗唱が絶対的に必要です。

 

御言葉が私を無意識に支配すれば、神様の御心を自分も知らないうちに自然と実践していくことになります。
神様は私たちに昼夜を問わず、御言葉を黙想して暗唱しなさいと語りました。

 

この戒めは忙しい我々に負担を与えたりストレスを与えたりするためではありません。むしろ我々に多くの有益と幸いと祝福を与えるためです。

 

御言葉の暗唱は、神様を私の中に迎える霊的礼拝です。
御言葉の暗唱は命の聖霊が私を導くようにする従順訓練であり、聖霊の力を受けるための楽しい霊的筋力運動です。
御言葉の暗唱は聖霊の剣を磨くための聖徒の基本過程であり、私たちの心を喜ばせ、目を照らす霊的な強壮剤であり、悪魔と異端の誘惑を防ぐ最も頼もしい霊的武装です。

 

数多くの選択の瞬間が近づいた時、御言葉が私の全てを支配すれば、神様は管理者である私を通して働いてくださいます。

 

私たち皆がこの世と調子を合わせず、神様の御言葉が私たちの無意識を支配し、世の誘惑を退け、主の御心が何なのか見分ける人生を生きることを祈ります。

 

♣私の人生の主人である父なる神様、弱い私は世の人の顔色をうかがいながら惰性に浸って暮したことを告白します。

私の足りなさと間違いは考えもせず、私が作った形式と物差しによって他の人々と比較しまた判断し、傲慢な者として生活し、そしてまたすぐに熱かったりしてもすぐ冷めてしまう鍋根性で神様が喜ばない信仰生活をしたことをお許し下さい。

この世と調子を合わせてないように支えてくださり、毎朝新しい霊と新しい心と新しい体で変化を受け、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えて生きられるようにして下さい。

大変で負担ですが、御言葉の暗唱72の聖句がいつも私の唇から離れないようにし、暗唱した御言葉が私の無意識を支配し、神様の御心をよく見分け、毎日勝利しますように。

 

イエス様の名前で祈ります。アーメン。