聖書黙想”3分の奇跡“2020年7月10日金曜日

🥑 2020年7月10日「三分の奇跡」
(一日三分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

四代に続く信仰を立てあげる聖書暗唱の72聖句
D10.キリスト弟子の資格:手厚く差し上げるもの2

 

[第二コリント9:6~7]
私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

 

タイトル:神様の祝福をたくさん受ける秘訣

 

すべての人々は祝福をたくさん受けることを望みます。
少なく与えて30倍、60倍、100倍の祝福を受けたいのが、我々の欲です。


ところで、全ての祝福のもとである神様が定めた基準や原則は何でしょうか。

タルムードに出てくる話をお聞かせします。
https://youtu.be/msrP7dDmSZ8

 

❤タルムードに出てくる話です。

小さな川に一本橋が架けられ、一人の女性が橋を渡ることになりました。
ところが、橋が今にも崩れそうです。深呼吸をして落ち着こうとしましたが恐ろしさは変わりません。
彼女は足を止めて祈りました。

“神様、この橋を無事に渡れるようにしてくだされば、全財産を捧げて神様の事業のために使います。”

橋の中ほどまで来ました。

「もう半分も来たのに、 全財産を捧げる?」

女性は後悔し始めました。それで女性はまた祈り始めました。

“神様、この橋を渡ると、私は一文無しで丸裸になってしまいます。神様私がそうなるのを望んではいないでしょう。私が財産の半分だけをささげるとしても神様は理解されるでしょう。 それも私にはとてつもなく大きいものです。”

橋をほとんど渡るようになると、女性はまた心が変わりました。

“神様、財産の半分を捧げるのはひどすぎませんか。この橋がそんなに危険でもないのに… 神様!きっぱりと5万ウォンだけ献金しても理解できますよね?”

最後まで来た時、急に足がふらふらして女性が倒れそうになり、焦った女性はすぐにまた祈りました。

“神様助けてください。私が言ったことは冗談でした。それを真剣に受け取るなんてひどいです。”🌱

 

タルムードのこの物語は人間の心、私たちの心。いや、私の心がどれだけずるくて、利己的で、計算的で、自己中心的なのかを見せてくれます。

 

皆さんも毎週献金を差し上げる時、神様に恩着せがましく取引するように条件をつけていませんか?

 

祝福はたくさん受けたいけど、 たくさんあげるのはもったいないので、けちって差し上げていないでしょうか。

 

神様が注いでくださる祝福をたくさん受けるにはどうすれば良いでしょうか。

 

神様が定めた法則に従わなければなりません。
その法則は、蒔いて刈り取る法則、つまり少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取るということです。
実を取りたければ種を蒔くべきで、良い実を取りたければ必ず良い種を蒔くべきです。
しかし、私たちは良い種は蒔かずに、ただもっと早くくださいと祈ります。
勉強しないで良い成績を望むとか, 苦労しないことで成功を期待することは神様を喜ばせることは出来ません。

 

世の中には二つの種類の金持ちがいます。


土に一生懸命積んでおくが、それがつまずきとなって戦いが起こり、泥棒が入るのではないかと不安になり、お金の奴隷になる愚かな金持ちと、永遠に続く御国のために、天に多く積んでおく賢い金持ちです。

 

皆さんはどんなお金持ちになりたいですか。

 

蒔いて差し上げるのは愛の表現です。親が子供たちのために捧げる時間は喜びの中で行えるように、主に差し上げる時も喜びをもって差しあげなければなりません。
献金のことで試みを受けたり、喜びではなく義務感やけちってするならば、信仰が成長出来るように祈らなければなりません。神様は喜んで捧げる者を愛されます。

 

神様は全ての祝福のもとであり、万物の主人です。すべての人を大きくされることと強くされることが神様の御手にかかっています。

これを本当に信じたら、本当に神様を愛したら喜んで差し上げることができます。

 

私たちは神様の聖なる農夫です。農夫として私たちはどんな種を蒔くべきか。
福音の種、祈りの種、愛の種を蒔かなければなりません。
そして、物質の種を蒔かなければなりません。

 

幼い子供が自分の持っているパン5つと魚2匹を差し上げた後、5千人を食べさせ、12かごが残る五つのパンと2匹の魚の奇跡が現れました。

 

マタイによる福音6章21節では、宝のあるところに、あなたの心もあると語ります。


献金は神様に蒔くものです。心から神様を愛するなら神様に差し上げなければなりません。
たくさん蒔いてたくさん差し上げたらどんな有益がありますか。

 

第一に、我々の心をキリストに向かわせます。

 

捧げるのは管理者として負うべき責任のうちの一つです。管理者は、差し上げるほど、忠誠を尽くすほど、主人の喜びに参加し、主とより親密な交わりができます。

 

第二に、我々の品性がイエス様に似ていきます。

 

惜しみなく与えるイエス様と違って、人間は本来·利己的な存在です。こんな私たちがイエス様に似ていくためには、規則的に捧げものを実践しなければなりません。

 

第三に、天からの宝が増し加わります。

 

マタイ6章20節では「自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません」と語ります。

私たち各人は天の口座を持っています。地に積んでおいたものは死ぬとき持ち帰ることはできませんが、天の口座に積んでおいた宝物は永遠に受けられます。
私たちは永遠を見つめ、主の天国銀行に投資しなければなりません。

 

第四に、地で豊かさを受けられます。

 

たくさん蒔いてたくさん捧げると物質的な祝福が返ってきます。

 

[箴言11:24~25節]
ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。

 

[第二コリント9:8節]
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

 

私たちがたくさん蒔いてたくさん差しあげれば、真実な神様は私たちにこんなに多くの祝福をくださると約束しました。
しかし、祝福を受けるために差し上げることは、完全な信仰ではありません。

我々は、私のような罪人を生かしてくださった神様にただただ感謝して、神様のものを神様に喜んで差し上げるのです。

 

私たち皆が神様の祝福の法則を悟り、けちったりしぶしぶ差し上げず喜びでたくさん蒔いて、たくさん差し上げることで神様が注いでくださる祝福を受けることを祈ります。

 

♣全ての祝福の根源である神様、私が持っている全てのものが神様から与えられたものなのに、その感謝と恵みを知らず私のものであるかのように握りしめて惜しむ私を許してください。

必要な時だけ神様を探し求める利己的な私にならないように私の信仰が成長出来るように導いて下さい。

蒔いて刈り取る法則を常に記憶し、祈りと福音と物質の種を蒔き、空の倉がいっぱいになりますように、純粋な心で喜んで差し上げることで神様の祝福を受けられますように。

 

イエスの名前で祈ります。アーメン。