聖書黙想”3分の奇跡“2020年7月8日水曜日

💸 2020年7月08日"3分の奇跡"
(一日三分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

4代まで続く信仰を立てあげる聖書の暗唱72聖句
D9.キリスト弟子の資格:手厚く差し上げるもの1

 

[箴言3:9-10]
あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。

 

タイトル:私が働いて稼いだお金なのに… 必ず献金しなければなりませんか。

 

信仰生活で最も不便なのが「献金」でしょう。

献金のために試みに会ったり教会に行くのを嫌がる方もおられて、私が熱心に働いて稼いだお金をどうして献金しなければならないのか.... もったいないと思う方々もいらっしゃるでしょう。

聖書は何故献金をしなさいと語られるんですか。
https://youtu.be/d6ViEOIByzc

 

❤失業中の無一文の一人の青年がいました。

ある日、街を歩いている途中、救世軍の路傍伝道を見るようになりました。
賛美と伝道説教が終わった後、ある若い女性がタンバリンをかごにしてそれを持って献金をもらいながら一周しました。

 

彼女が前に来た時、青年は言いました。
「献金をしたいが、食べ物を買って食べるお金さえない。申し訳ありません」

すると彼女は自分のポケットからお金を取り出し、彼に1ドルを渡しながらこう言いました。
“このお金をもらって、そのうち10セントをここに献金してください。そしてこれから収入ができるたびに初穂を神様に捧げて下さい。一生神様に初穂を捧げたらお金がなくて苦労することはないでしょう。”

 

彼はとても感謝する気持ちでそうすると言ってハンバーガーを買って残ったお金のうち10セントを献金しました。

 

それからしばらくして彼は職を得るようになりました。彼はその女性の言うとおり、毎月収入があれば神様に初めての実を捧げました。
歳月が経ち、青年は企業の代表となり、自分を助けてくれた救世軍の後援者となり、貧しい人々のためにいくつかの病院を建てました。

 

箴言3章9節10節では、あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれると語ります。

 

この御言葉はソロモンの愛する息子に神の知恵を求める者が得る人生の有益を並べた章です。

 

聖書には神様が私たちに祝福をくださると約束した御言葉が多いです。
その祝福を受けるためには、我々がすべきこととすべきでないことがあります。

 

神様の律法を忘れずに命令を守れば、長寿と平和を受けられます。
慈しみと真理を心に刻むと、神様と人の前で恵みと称賛を受けることができます。
心を尽くして神様を信頼し、自分の悟りに頼らず、すべての道で神様を認めれば、栄える祝福を受けます。
主を恐れて悪から離れたら体が健康になり骨まで元気つけられます。
財産とすべての収穫の初物で主をあがめたら、倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれると語ります。


つまり、神様の律法を忘れず、自分の悟りを頼らず、初物を捧げたら豊かに満たしてくださるという約束の御言葉です。

 

財産とすべての収穫の初物を差し上げること… 皆さんはどのぐらい喜びでそれをなさっているでしょうか。

 

神様はすべてのものを創造され、すべての財産の主人です。神様はすべての所有権と主権、供給権を持っておられる方です。

我々がイエス·キリストの弟子になるためには、まず我々が持っているすべての所有権を神様に差し上げなければなりません。

 

神様は絶望的に見える状況も用いて、信真な者の人生を善に変える主権者です。
神様は私たちの必要を満たしてくださる供給者です。
私たちは神様の財産を管理する僕であるだけです。


私たちは受け取ったものが多かれ少なかれ、忠誠を尽くさなければなりません。

 

十分の一を差し上げる1/10は神様のもので、残りは私のものだから私の勝手に使ってもいいと思いますか。
私が持っているすべてのものは神様のものです。神様に差し上げた 1/10だけでなく残りの 9/10も神様のものだから神様のやり方で管理をしなければなりません。

 

これはまるで親子との関係みたいです。 私たちは子どもを愛で育て、食べさせ、着せ、教育させます。もし、おいしいおやつをおごって、少しだけちょうだいと言ったのに子供が惜しんであげようとしたら、皆さんのお気持ちはどうでしょうか?

 

親にはもっと美味しいものをおごってあげれる力があるのに、自分のものだと主張してくれないと、どんなに傷つくでしょうか。

 

聖書は「アベル」と「彼の供え物」は受け取りましたが、「カイン」と「彼の供え物」は受け取らなかったと記しています。

カインは農業を営む農夫だったので、自分が耕した土地の所産で神様に供え物を捧げました。
弟のアベルは羊を飼う者だったので、自分が飼った羊の最初の子を供え物で捧げました。

ところが、神様はカインの供え物は受けず、アベルの供え物は受けました。
なぜ、カインの供え物を受けずにアベルの供え物だけを受けたのでしょうか?

 

[創世記4:5]
だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

 

神様は「アベルの供え物」より先に「アベル」を受け、「カインの供え物」に背を向ける前に「カイン」をまず目に留められなかったです。

カインは悪を行って信仰なしで暮らし、仕方なく神様に捧げものをしたので神様は目を留めませんでした。

アーベルは羊の初子と最上のものを持ってきたが、カインは初穂、初収穫という修飾語が入っていない地の作物だとしか言われていません。
カインは最上の物を差し上げたというよりも、ただ差し上げるべきことを義務感で差し上げただけでした。

捧げものを受けて受けなかった方は神様なのに、カインは神様がなぜ受けなかったのかに対する反省はせず、むしろ神様の前に礼拝をささげた弟を憎み、殺人まで犯しました。

 

神様は高価な供え物より心をこめて準備した供え物を喜び、供え物の量よりは与える者の心をご覧になります。

 

神様に差し上げることは愛と感謝を表現する礼拝の行いです。

 

私のものの中からしぶしぶ神様のもので切って差し上げるのではなく、神様のものの中から私のものを残して神様にごく一部のみ差し上げるものです。

管理者としての人生を忠実に過ごし、初穂を喜びで捧げると、神様は私たちの倉をいっぱいに満たしてくださる祝福を与えると約束しました。

 

我々は皆、神様のものをうまく管理する忠実で誠実な管理者の人生を生きることを祈ります。

 

♣父なる神様、神様が主人であることと神様の所有権、主権、供給権を褒め称え、私のすべての人生を生きた供え物として捧げます。

カインのように形式的に義務感のためしぶしぶ差し上げる信仰のない者にならず、喜びで差し上げる供え物が神様に受けられるに値する香ばしい供え物になりますように。

 

イエスの名前で祈ります。アーメン。