聖書黙想“3分の奇跡” 2020年7月31日金曜日

🎨2020年7月31日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの生に奇跡を体験してください!)

 

四代に続く信仰を立てあげる聖書の暗唱72聖句
E4.キリストに似る:謙遜2

 

『ペテロ5:5~6』
同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

 

タイトル:イエス様に似ていく人生_従順すること

 

美しい自然を見る時、皆さんはどんなことを考えますか?

 

宇宙万物を創造された偉大な神様の前で、私がまるで主人であるかのように世界の中心が私であるように考え、行動していませんか?
本当の謙遜とは何かを思い知らせるミケランジェロの物語をお届けします。
https:/youtu.beGUytfV_wb_I

 

🖤ルネサンスを代表する画家ミケランジェロは頑固で自分の作品に対して自負心が強い人物として有名です。

 

彼はいくらお金をあげても気が進まなければ決して作品を制作してくれなかったそうです。
彼にはまた、独特の癖が一つあったのですが、それは自分の作品に決してサインをしないことでした。

 

彼はマリアが死んだイエス様を抱きしめて悲しむ"ピエタ"像を除いては、どの作品にもサインを残していません。
彼が自分の作品にサインを残さなかったのはなぜでしょうか。
このような習慣は、バチカンのシスティーナ聖堂の天井に"天地創造"を描いた時にさかのぼります。

 

1508年、ローマ法王ユリウス2世の命令でシスティーナ聖堂の天井画を描くことになったミケランジェロは、人々の聖堂への出入りを禁止し、なんと4年間も聖堂に閉じこもって絵を描きました。
それは天井の下に立てた作業台に座り、頭を後ろに反らしたまま天井に絵の具を塗っていくきつい作業でした。
彼は後に首と目に異常が生じるほどこの仕事にすべての情熱を捧げました。

 

彼は最後にサインをした後、満足そうな表情で筆を置きました。
その後、疲れた体を休ませるために聖堂の外に出たのですが、聖堂を出たとき、彼は目の前の光景に感嘆しました。
まぶしい日差し、そして青空、高く飛んでいる鳥たち…。
どんなに優れた画家でも、目の前にいる大自然の姿をきちんと表現できるだろうかと思いました。
その時、ミケランジェロの心に小さな響きが聞こえました。

 

「神様はこんなに美しい自然を作り出しても、どこにもこれが自分の腕前であることを知らしめようとした痕跡を残さなかったのに、私は単なる小さな壁画を描いただけで、自身を現そうとするとは…」

 

彼はすぐに聖堂に戻りました。それから自分のサインを消してしまいました。
それ以来、ミケランジェロはどの作品にも自分のサインを残しませんでした。

 

[ペトロ5:6]
ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

 

私たちがいくら大きな成功を収めても、神様の前では霧のようなその日暮らしのような人生です。
そんな人生が神様の前に私を押し出して、私がまるで主人であるかのように世の中の中心が私であるように偉そうにしてはいないでしょうか?

 

謙遜はある者がない者の前で使う寛容さというレベルのものではありません。

 

聖書は何者でも無い者が、偉大な神様の前で自分を悟り身を伏せる'従順'から始めることが'謙遜'だと語っています。


低くなる必要のないイエス様。傷もなく不義もなく罪もないイエス様は、まず父なる神様の御心の前に従いました。
イエス様は私たちを救うために天の栄光を捨てました。
私たちを栄えさせるために自分の栄光を捨て、私たちを豊かにするために自ら貧しくなり、私たちを尊ばせるために十字架の侮辱とそしりを選択されました。

 

偉大な信仰者たちはみな同じく神様の前で頭を下げることを知っています。
モーセが神様の力を頼ると、みすぼらしい杖が紅海を渡る力の杖になり、幼いダビデの石投げの石5つが、ゴリアテを倒す力の石になり、ガリラヤのみすぼらしい弟子たちも、世の中を変える偉大なしもべになりました。

 

私たちは本質的に罪人であり、怒りの子どもであり、ほこりのような存在です。
そのような私たちが、神様の主権と命令の前で背を向けられない理由は何でしょうか

 

私が世の中の主人であるかのように私の意思だけで自分勝手に行動し、傲慢に振舞えば、私たちは神様の恐ろしさを知らずに生きる人です。
私たちは神様の前で無条件に従順で謙遜でなければならない存在です。これに気づくのが謙遜の第一歩です。


力がないと諦めないでください。神様の力の前に謙遜さで従うのが力強いことよりましです。

 

[詩編22:26]
悩む者は、食べて、満ち足り、主を尋ね求める人々は、主を賛美しましょう。あなたがたの心が、いつまでも生きるように。

 

[箴言22:4]
謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

 

私たちが足りないと思い、足りない姿そのまま主の前に出て行けば、その時から奇跡は始まります。神様に従えば奇跡の歴史は生まれます。

 

私たち皆、神様を畏れ、イエス様が自ら見せてくださった謙遜を学び、神様の御心に従い、イエス様の真の弟子になることを祈ります。

 

♣仕える道を親しく私たちに見せてくださった父なる神様、謙遜で仕える時イエス様の真の弟子になることをもう一度悟らせてくださってありがとうございます。

私に謙遜で武装できるようにして私にまだ残っている傲慢と自我を捨てるようにお願いします。

何をするにせよ、ただ神様の御名を高めますように、神様の仕える姿に似ていきますように。

神様を畏れ、神様の御心に従順し、謙遜で武装してイエス様の真の弟子になりますように。

 

イエス様の御名でお祈りします。アーメン。