聖書黙想“3分の奇跡” 2020年5月30日土曜日

🌱2020年5月30日"3分の奇跡"
(一日3分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

✔毎週土曜日は以前配信した分を再送させていただきます。

 

5/24/18 愛は死ぬまで努力すること

 

[創世記 2:18]
神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」

 

[ルカ6:37]
さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。

 

🖤家庭相談所を訪れたある夫婦がいました。

最近争った問題があれば話してくださいと言ったら、奥さんがすぐ言いました。

 

"この人は私があんなに寿司が食べたいと言ったのに 一度も連れて行ってくれたことがないのです。"

 

その話しが終わるやいなや、夫は"いや、あなたがいつお寿司が食べたいと言ったの?"と問い詰めました。

 

一部始終を聞いてみるとこんな内容でした。

ある日、夕食を食べていると奥さんが"あなた、近くに寿司屋ができたのよ。"と言ったので、ご主人が"そうなの? 最近景気は悪いらしいけど、うまくいったらいいね。"と言い、
数日後、再び奥さんが"あなた、今日あの寿司屋の前を通ったけど、結構車が多かったよ。"と言ったので、ご主人は"商売が繁盛しているみたいだね。よかったね。"と言いました。

そしてある日、奥さんが"あなた、私の友達があの寿司屋へ行って食べてみたんだけど、とても美味しかったんだって"と言うと、ご主人は"料理長がいいみたいだね。"と言ったというのです。

 

奥さんは3度も寿司屋に行こうと言葉をかけましたが、ご主人は聞き取れなかったのです。

 

男女が対話をすることはとても重要なコミュニケーションであり、愛の伝達手段になりますが、愛が崩れる原因にもなります。なぜなら、男と女の言語が違うからです。

 

"男は言葉を胸に秘め、女は言葉の中に心を込める。"というのがあります。

 

男は事実だけを話しますが、女は共感を求めている。男は問題解決のために話しをしますが、女は心がすっきりするために話しをします。

 

奥さんは"夫は言葉の意味が分からない。"と不平を述べ、ご主人は"妻が何を言っているのか全く理解できない。"と不満を漏らしています。

 

妻の言うことを聞くときは問題用紙に接する受験生のように話しなさいと言います。行間に隠された妻の心を読む訓練が必要という意味です。

 

月の明るい夜に妻が"あなた、本当に月が明るいでしょう。"と尋ねると、ほとんどの夫は"今日は満月でしょう。だから当然月が明るいよ。"とか"月が明るいのは初めて見たの?"と恥をかかせます。

 

妻が"月が明るい"というのは"あなたと歩きたい"とか"あなたとコーヒーを一杯飲みたい"という意味ですが、ご主人はその気持ちが分からないのです。

 

男の言語と女の言語がこのように異なり、"大丈夫"という言葉も女と男では違って解釈します。

 

女性の言葉"大丈夫"はあまり気に入らない。大して大丈夫じゃない。別の措置をとってほしいということですが、男性の"大丈夫"は本当に大丈夫だという意味です。

 

女性の"いいえ"という言葉はその意味が違う場合もありますが、その言葉の真実は3回以上聞かないと明らかにならないのです。一度だけ聞いて終わるととても寂しがります。しかし、男性の"いいえ"という言葉は本当に違います。

 

夫が"ああ、手帳がほとんど使い果たしてるね。"と独り言を言っているのを聞いた妻は、手帳が必要であることをすぐにキャッチし、数日悩みながら手帳をプレゼントします。そしたら男は"え!? 手帳が必要だったのにどうして分かったの?"と驚き、喜びました。

 

女性がテレビを見ながら"わぁ、マフラーとてもきれい"、また食事をしながら"さっき外出してたとき、たまたまマフラーを見たんだけどとてもきれいだったよ"、雑誌を見ながら"わぁ、マフラーがすごく安い"など何度も暗示をしても夫はマフラーではなく香水をプレゼントします。

 

男性は直接話法に慣れていて、女性が間接話法で"マフラーかわいいね。"だから早く買ってください"をただマフラーが可愛いとだけ聞いたのです。

 

女性はとても気難しく見えて、男性はとても単純に見えますが、これは女性、男性の言語上の特性のためです。

 

女性は言語の特性上、ぐるぐる回して話すことが身についており、男性は思ったとおりにそのまま話します。女性は間接話法を愛し、男性は直接話法を使用します。女性は感情に鋭敏で感性的で、男性は見た目に鋭敏で理性的です。

 

妻が家事を夫に助けてくださいと言った時、夫が返事がなかったりぐずぐずすると妻は腹が立ってこのように大声を出します。

 

"あなた、一度でも、家事を手伝ってくれたことあったの?”

 

実はこの言葉には"一人は大変だから一緒にしましょう。あなたの助けが必要です"という感情が込められています。しかし、主人は"一度"という言葉に傷つき、このように言い返します。

 

"私が一度もやってないって? 先月にしたのは何?"

 

すると、問題の本質は姿を消し、一度したのか、二度したのかをめぐって長い争いに入ります。

 

妻と夫の葛藤は、頭と胸の違いから生じます。頭から胸までの距離は約30cmです。わずか30cmの差が夫婦間の疎通に問題を起こします。

 

夫婦とは、神の恵みがなければ生きられない存在だと心から思わされます。

 

お互いがお互いの本音を理解できるように接近して反応する訓練が必要です。夫たちは妻が話す言葉の中に隠れている感情を読む訓練をしなければならず、妻たちは自分の感情を適切にまた丁寧に表現する必要があります。

 

寿司が食べたいなら"あなた、私の町にいい寿司屋ができたって。いつ時間あればあなたと行きたい"と言うべきです。"月が明るいでしょう"とばかり言わずに"あなた、月が本当に明るいですね。昔あなたと歩いたこと思い出しました。今日時間どう?"と直接的に言わなくてはいけません。

 

夫婦が暮らしていると葛藤が生じるのは当たり前です。恋愛する時は私が相手に合わせ、欲求を満たしてあげましたが、結婚後は相手が私に合わせることを強要します。"助け手"から"願う手"に変わるのです。

 

 

それで葛藤が生じ、これは人間の罪性の結果です。

 

葛藤はいつでも起こりえます。問題は葛藤ではなく、葛藤を解決することにあります。

 

葛藤が生じれば、誰かが先に和解の手を差し伸べなければならず、神様の恵みを経験した人が手を差し伸べなければなりません。

 

また、葛藤を解決するためには"相手が間違っているのではなく、自分と違う"という考えを持って対話を始めなければなりません。男と女の根源的な差があるということを認知し、認めて、理解しなければなりません。

 

お互いに配慮し、共感する訓練が必要です。愛は死ぬまで努力するのであって、決して完成されるものではないからです。

 

共感は相手の魂を抱いてあげることであり、"あなたは私自身よりもっと大事な私"というメッセージを伝えることです。それが相手に生きがいを感じさせる妙薬です。

 

私たち皆が共感する夫(妻)と疎通する夫(妻)になって私たちの家庭を小さな天国にすることを祈ります。

 

♣愛の父なる神様、お互い助け合う者として出会った私たち夫婦が、お互いの違いをさらに理解して尊重し、配慮し、足りない点を満たすことができますように。

 

お互いの意地と自分の義を前に出すことなく、神様が施す愛の恵みで互いに立たせてあげるように助けてください。

 

言葉の意味を聞き取れない、行き詰まった人にならないように心と耳を開いて共感能力を育て、葛藤が生じた時、まず和解の手を差し伸べ、真の人、尊敬される人になりますように。

 

イエス様の御名でお祈りします。アーメン。