聖書黙想“3分の奇跡” 2020年10月07日水曜日
😊2020年10月07日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)
四代に続く信仰を立てあげる聖書暗唱72聖句
F10. 完全な人格: 行いの完全さ2
[ピリピ2:13~14]
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい。
タイトル: 神様が喜ぶ人生はどのように生きるのですか。
🍀感謝する環境で感謝することは誰もがする当然のことです。
しかし、急な事故や苦難で感謝できない状況で、感謝することは容易ではありません。
花のような女子大学生から交通事故によって人生全体が変わり、一生文句を言って恨んで暮らすこともできたが、むしろ小さなことにも感謝する気持ちを持つようになった李ジソン教授の話をお聞かせします。
https:/youtu.beM1vDfXpgxw0
🌱李ジソン教授は2000年7月30日に飲酒運転の交通事故で、全身の55%に3度のやけどを負いました。
彼女は短くなった八本の指を使いながら人に爪がどれだけ大事なのかが分かりました。
1人10役を果たす親指で生活し、文章を書きながら親指を無事に残してくださった神様に感謝しました。
眉毛がなくて何でも全部目に入っていくのを経験して、人にこの小さな眉毛さえどれだけ必要なのかが分かりました。
棒のようになってしまった右腕を使いながら、どうして神様が関節を曲がらせたのか、手が耳まで届くことがどれほど重要なことなのかがわかりました。
米国のUCLAで2016年に社会福祉学博士号を取得し、2017年に韓東(ハンドン)大学の相談心理社会福祉学部の教授になった彼女は、国民日報とのインタビューでこう言いました。
「私は事故を通じて自分が誰なのか、神様が誰なのか分かるようになりました。人生の優先順位が変わり、優先順位でないことには敢えてエネルギーを使わなくなりました。日常の幸せがどれほど大切なのかも感じるようになりました。」
記者が「事故後、最初は私にできることが何もありませんでした。息をすること自体が恵みであり奇跡だということを知りました。感謝の気持ちが闇のトンネルを突っ張らせてくれた力でした。」
記者が「事故前に戻れるならそうしますか。」と尋ねると、彼女は首を横に振りながら「今がもっと幸せです」と答えました。
「事故の直後にこの質問を受けたなら、当然帰ると言っていたはずです。事故が起きた当初は、すべてを失ったのが悔しくて残念でした。しかし過ぎてみると、得たものがはるかに多いです。事故の前は、神様に恨みと不平を言い、神様が助けてくださらなければならないという祈りをしました。それが完全に変わりました。時間も、呼吸も、私のものだと思っていた些細なことも、すべて私のものではありませんでした。それを気づいてなかった過去に戻りたくないです。」
李ジソン教授は、若者らに対し、このようにアドバイスします。
「神様、私はどうしてこんなことを経験しなければならないんですか。神様の御心は何ですか? こんな質問の返事はすぐに気づくのではありません。その仕事に時間とエネルギーを費やして結局神様から遠ざかるようになります。その瞬間、神様が私たちに望むのは『神様がこの状況で私がどうすることを願うだろうか?』と考えることです。」
神様が私たちに大変な時間を下さる理由を私たちはすべて知ることができません。いくら良い家を持ち、最高級の自動車と名誉と健康を持っていたとしても、イエス·キリストに仕えずに生きることこそ、最も不幸な人です。
誰でも例外なく、すべての人は死ぬと神様の審判台の前に立つが、その時の私の名前が命の本に記録されていなければ、恐ろしく苦しい地獄で永遠に悲劇的な人生を生きなければならないからです。
ところが、どんな罪人でも、「主イエス·キリスト」を「信じる」ことで、このすべての罪から救われるのです。
地獄は、盗みや殺人のような犯罪を犯したり、善良に生きたりしないので、行くところではありません。イエス·キリストを信じることを拒否したからです。
米国に行く時は米国ビザが必要で、ローマに行ってはローマ法に従わなければならないように、神様の国に入るためには神様が定めた律法に従わなければなりません。
神様の律法は誰でも悔い改め、イエス様を信じれば滅びずに永遠の命を得ることです。イエス様を信じる人は、天国と地獄を分ける審判を受けません。
[ヨハネ3:16]
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
今は神様が私たちを愛して憐れんでくださるのでイエス様を信じさえすれば罪を許して救ってくださいますが、最後の審判の時にはイエス様を信じないで退けたすべての人々を厳しく裁きます。
しかし、すでに救われたからといって、いい加減に生きてはいけません。すでに救われた人には二番目の審判である公の審判があります。
イエス様の血潮の代価によって救われた者として恥ずかしくないように毎日祈り、聖書を読み、御言葉を聞き、黙想する中で、聖霊充満さを維持しなければなりません。
旧態依然たる宗教人として生きるのではなく、霊的な乾性に陥らず、神様が喜ぶ人生を生きなければなりません。
我々は、主が呼ぶその日まで、主が喜ぶ人生を生きるためには、どのように生きるべきでしょうか?
第一に、いつ来られるか分からない主のために忍耐して熱心に準備しなければなりません。
[マタイ24:44]
だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。
皆さんは、もし今夜主が来られるなら,主を迎える準備はできていますか。
[第一ペテロ4:7~10]
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。
第二に、この世を生きていく中で、悔しくてつらいことがあっても絶望せず、慎み祈らなければなりません。
神様の御座の右におられる我が主が救われた民の祈りを聞き、神様の時に答えてくださいます。
第三に、互いに許し合い、罪を覆ってあげて、愛し合うべきです。最後の時に、私たちがすべきことは、裁いて非難し、中傷することではなく、互いに愛することです。
第四に、私たちは皆、管理者です。神様の御国が広がるために、教会によく仕え、弱い方を顧みなければなりません。
第五番目、すべてのことを恨みと争いなしにしなければなりません。
恨みはすべてに感謝することができず、不平を言う姿勢です。
争いとは気に入らず批判を提起して論争しようとする姿勢です。
毎日私たちが信仰の人生を生きていくために、傷がないように最も努力しなければならないのが唇です。
唇に恨みがあれば聖霊様が働くことができません。恨みは習慣であり, 責任回避です。
感謝と賛美が神様から来るものなら、恨みと不満はサタンから来るものです。
私たちがこの世を生きていく時、多くの困難があっても試練があっても聖霊様が私の中に住み、神様の恵みが私と共にあるならば、この地でも小さな天国を受けながら生きていくことができます。
クリスチャンは毎日、心を清め、新たに武装しなければなりません。不平が何度も出てくる時は、祈りが足りず、恵みが落ちてサタンが私を試みているんだと早く気づいて悔い改め、主に戻さなければなりません。
私たちみんな、神様が呼ぶその日まで熱心に働き、お互いに愛し合い、神様が喜ぶ人生を生きることを祈ります。
♣愛と公儀の父なる神様、いまだに天国と地獄を信じていない数多くの愛する家族、友人、知人を哀れみ、彼らのために祈り、福音を大胆に伝えるように導いてください。
彼らの頑なな心を開いてくださり、神様の警告を聞いて福音を真理として受け入れますように。
毎日、祈りと黙想と賛美で神様の御心を求め、神様の血潮で救われた者らしく、神様が喜ぶ人生を送るように握ってください。
イエス様の御名のもとにお祈りします。アーメン。