聖書黙想“3分の奇跡” 2020年5月18日月曜日

👑2020年5月18日"3分の奇跡"
(一日3分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル: あなたは幸せになり、地上で長生きする。1

 

[エペソ6:3] 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。

 

🖤"暖かい手紙"1560号のお話しです。

 

BC4世紀、シチリアにディオニシオスという王がいました。
人々は彼に服従し、彼の宮殿は美しくて価値ある物でいっぱいでした。
王の部下であるダモクレスはこんな王の権力と富をうらやましがりました。
ある日、ダモクレスが王に申し上げました。
"陛下、 どのぐらい幸せですか。王にはすべての人々が望むものをすべて持っておられますから。一日だけでも王様のように楽しんでみるのが私の一生の願いです。"
すると王は気軽にこう言いました。

 

"それでは明日一日君が王になってみるか。明日は君が王様だから、思いっきり楽しんでみろ。"

 

翌日、ついにダモクレスに王様を体験する機会が与えられました。
美しい宮殿、香りのあるお酒と美しい女性、楽しい音楽。すべてが完璧でした。
彼は気持ちいい座布団にもたれて、今日だけは自分がこの世で一番幸せな人だと思いました。
そうこうしている時、彼は偶然天井を見ました。
彼はびっくりして顔色が灰色に変わりました。
天井には鋭い刃物が馬の鈴にぶら下がって彼の頭の方へ向けられていたからです。


甘かったお酒も食べ物も味を失い、音楽も楽しめなくなりました。その姿を見たディオニシオス王が聞きました。
"何か間違っているのか。"
ダモクレスは完全に気の抜けた表情で王に答えました。
陛下、この上に刀があります。"


"その刃物に何をそんなに驚いているのか。私は毎瞬間ごとにいつ死ぬか分からないという恐怖の中で生きている。そして、私の権力はいつ落ちるか分からない刀のように、常に危機と不安の中に維持されている。"🌱


[ヨブギ27:8] 神を敬わない者の望みはどうなるであろうか。神が彼を断ち切り、そのいのちを取り去るときは。

 

毎日不安を覚えながら過ごす王の座について、確かにその場所は人間としての最高の楽しみがある地位ではありますが、本当にそこを羨ましいと思いますか?

 

いくら王であっても命の脅威を感じ、不安と恐れの中で暮らせば、それは幸せではないはずです。

 

このように最高の地位に上って成功したとしても、安らかに生きることができず、長生きすることができず、それをまったく楽しむことができないということならば、それは無駄です。

 

反面、いくら長生きしても幸せではない状態で長生きしたらどうでしょうか。それは苦労だけです。

 

聖書には、幸せであるが長生きできない場合、長生きしても幸せでない状態で長生きした場合、幸せで長生きした場合の3つの場合を説明しています。

 

一つ目、幸せだが長生きできない場合です。

 

[ルカ12:16~21] ~ある金持ちの畑が豊作であった。 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

 

ある金持ちは幸せでしたが、その晩彼は死んでしまいました。たくさん持っていても、それが本当の幸せに繋がっていません。

 

聖書には、この世で最高に優れた王の座にまで至りましたが、長く生きることができなかったため、その成功を楽しむことができなかった王たちについて記されています。

 

6ヶ月で暗殺されたゼカリヤ(第二列王記15:8~10)、3ヶ月と10日で連れて行かれたエホヤキン(第二歴代36:9~10)、3ヶ月で廃位されたエホアハズ(第二列王記23:31~34)、1ヶ月で暗殺されたシャルム(第二列王記15:13~14)、7日ぶりに死亡したジムリ王(第一列王記16:15~20)です。
アラム王ベンハダデは一日で部下から暗殺されました(第二列王記8:7~15)。

 

いくら幸せだとしても、その幸せな状態で長生きできなかったら、あまりそこに意味はありません。聖書はこう語ります。

 

[マタイ16:26] 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

 

2つ目、幸せではない状態で長生きした場合です。

 

[伝道書6:3] もし人が百人の子どもを持ち、多くの年月を生き、彼の年が多くなっても、彼が幸いで満たされることなく、墓にも葬られなかったなら、私は言う、死産の子のほうが彼よりはましだと。

 

[伝道書6:6] 彼が千年の倍も生きても、―しあわせな目に会わなければ―両者とも同じ所に行くのではないか。

 

いくら長生きして千年の倍を生きようとも、その心に喜びがなく、人生を楽しめないなら、その心にあるなのは不幸のみです。

 

[伝道書 2:24] 人には、食べたり飲んだりし、自分の労苦に満足を見いだすよりほかに、何も良いことがない。これもまた、神の御手によることがわかった。

 

この御言葉は、人が食べて、飲んで、苦労する中で心の楽しさを見出すことより越したことはないという意味です。

 

[箴言17:22] 陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。

 

心の悩みは骨を枯らします。専門家によると骨から血を作るそうです。
ずっと新しい血を作って血管で送らなければならないのに、血を作り出す骨を枯らすほど心配があるなら、長生きするのが何の楽しみですか。幸せでしょうか? 苦労するだけです。

 

3つ目、幸せで長生きする場合。その秘訣は何でしょうか?
明日に続きます。 (5/17/20週間説教、 パク·ヒチョン牧師)

 

♣祝福を与えてくださる父なる神様、天下を得た王であっても不安と恐れで平安を楽しめない人生から主をより頼むことにより祝福を楽しめる一生を送らせて下さい。

 

いくら長生きするとしても、心の悩みで喜び楽しめない人生にならないようにしてくださり、神様が施してくださる幸せで長生きする祝福を楽しめますように。

 

イエス様の御名でお祈り捧げます。 アーメン。