聖書黙想“3分の奇跡” 2020年11月20日金曜日

💐2020年11月20日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)
 
タイトル:私が苦手に思う人のために祝福のお祈りをしなさい
 
[ローマ書12:18]
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
 
🍀昔、イギリスのロンドンに牧師の上手な3人の牧師さんがおられました。
FBマイヤー牧師とチャールズ·スパルジョン牧師、そしてキャンベルモーガン牧師です。
ところが、マイヤー牧師の心に、ある日から他の牧師に対する嫉妬心が生じました。
 
「私はスパルジョン牧師のように説教が上手ではなく、モーガン牧師のようにリーダーシップを持っていないな」
 
心に嫉妬心が生ずると神様にお祈りを捧げました。
 
「神様、私の心の中の妬みを無くしてください」
 
しかしいくらお祈りしても嫉妬は止まず、もっと彼らと自分を比べながら嫉妬心が募りました。
 
ある日、祈っている途中、神様の慈しみ深い声が聞こえてきました。
 
「君の祈りを変えなさい。嫉妬をなくしてほしいと祈らず、彼らのために祝福を祈りなさい」
 
神様の御声を聞いてマイヤー牧師はお祈りを変えました。
 
「神様, スパルジョン牧師とモーガン牧師の教会を祝福してください」
 
ある日、公の場でマイヤー牧師はこんなお祈りを捧げました。
 
「神様、モーガン牧師の教会に祝福を与えて人々でいっぱいになるようにしてください。それで入る席がなくて人が残ったらうちの教会に送ってください」
 
3人の牧師は後日とても親しい友達になりました。
3人の牧師が担任していた教会はみんな大きく成長し、都市福音化のための連合を成して神の国の拡張に力を尽くしました。🌱
 
[第一コリント12:26]
もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
 
皆さんも誰かに嫉妬したことがありますか。
今、この瞬間に思い浮かぶその人のために 祝福のお祈りをすることが出来ますか?
 
嫉妬に勝つ方法は、嫉妬の対象を祝福することです。
罪によって堕落した私たちは、他人を褒めたり祝福する言葉よりも、他人の悪口を言って誹謗したり、陰で悪口を言って呪いをかける言葉、咎や失敗、過去の過ちを暴く言葉をよく言います。
 
実際、私が嫉妬する誰かが昇進したり、子供が合格したり、大きな家と良い自動車を買うと、心に染みるお祝いの言葉より心が落ち着かない時があります。
なのに、その人のために祝福の祈りまでするということは簡単ではありません。
しかし聖書はそれでも祝福しなさいと語ります。
 
[ローマ書12:15~16]
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに一つ心となり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。
 
兄弟をつまずかせる言葉は紛争と対立し、不和をもたらすものなので、私たちは唇で罪を犯さないように自ら自分の唇を守って言葉に気をつけなければなりません。
なぜなら、我々はイエス様の中で一つであり、嫉妬は我々の心だけでなく、骨までむしばむからです。
 
[ガラテヤ3:28]
ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。
 
[箴言14:30]
穏やかな心は、からだのいのち、激しい思いは骨をむしばむ。
 
イエス様の弟子たちも完璧ではなかったし、問題があまりにも多い人たちでした。
血気旺盛で多血質な短気なペトロ、神様から「雷の子」というニックネームがつけられるほど活火山のような性格の持ち主ヨハンとヤコブ、その一方で打算的なピリピと疑い深いトマス、狂的なテロリストとしてローマに抵抗したシモン、そして銀30枚でイエス様を売り払ったイスカリオテユダ。
 
彼らはみな非常に扱いにくい人たちで、お互いに誰がより大きい者かを争いました。
神様は、彼らをすべて抱え、大切な働きに同行してくださいました。
 
私たちの周辺には全てのことに否定的な人がいます。その一方で、非常に打算的で排他的な人もいます。礼儀を知らず何も気にしない人や、激しい気性や独善的で偏狭な思考で、周りの人々を傷つける人もいます。
このような人たちと一緒だということは確かにつらくて大変なことです。だからといって、これは嫌だから選んで追い出して、あれはそうだから嫌と言って選んで追い出したら、私の周りに残る者はいないでしょう。
 
私も完璧ではありませんし、私も過去にそういう人間でしたし、今でもそうなる可能性はあります。
私も誰かを傷つけていますし、誰かを苦しめています。
 
人を抱くことは簡単なことではありません。
それにもかかわらず私たちが人を抱かなければならない理由は主がそうされ、彼らも神の愛する子供であり、主がお互いに愛し合って一つになりなさいとおっしゃったからです。
 
[ヨハネ17:11]
わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。
 
[ヨハネ15:12]
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
 
私を苦しめる人々を無条件に避けて遠ざけるよりはむしろ彼らを祝福して祈るべきです。
分けて分離させることは悪魔の仕業です。分裂の戦いがある場所にはいつもサタンの働きがあるだけです。
 
我々はひとつにならなければなりません。一つにならなければならないということは同じ心を抱くという意味です。
神様はいつもお互いに一つになって和解し平和を受けながら暮すことを願っておられます。
 
意見は違っても心は一緒にしなければなりません。考え方は違っても目標は一つでなければなりません。
 
私たちみんな、意見と考えが他の人々とも一つになって平和を受けて祝福されて主が喜ぶ人生を暮すことを祈ります。
 
♰私の弱さをご存知でおられる父なる神様、時には炎のような嫉妬で平安も喜びもない私を哀れんでくださって私の心を握ってくださいますように。
 
無駄に他の人と比較せず、神様の創造目的に合う私自身を立て上げていきますように、私の中に住んでおられるキリストのゆえに喜んで生きますように。
 
世的な欲と劣等感から自由になり、イエス様の選択と愛を受ける恵みを感謝し、イエス様に従って歩みますように。
 
イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。