聖書黙想“3分の奇跡” 2020年9月23日水曜日

🐄2020年9月23日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

四代に続く信仰を立てあげる聖書暗唱72聖句
F7. 完全な人格: 関係の完全さ1

 

[マタイ7:12]
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

 

タイトル: 人間関係をうまくする極意

 

🍀米国カーネギー工科大学で職場生活と家庭生活、そして社会生活に失敗した人々の中で万人を標本調査し、彼らが失敗した理由について深層的に研究しました。
研究の結果、専門的な技術と知識が欠如して失敗した人は15%に過ぎず、85%が人間関係で失敗したことが明らかになりました。
多くの人が一番難しいと言う対人関係、皆さんはうまくやっていますか?

 

人間関係をうまくしようと思ったらどうしなければなりませんでしょうか。

 

自分を傷つけ侮辱した人と親友になった人の話をお聞かせします。
https:/youtu.be0oFfF6TozG4

 

🌱数十年前、アメリカの農場の多い田舎であった話です。

 

黒人が白人の家の隣に引っ越しました。
白人は黒人が隣に住むことを忌まわしく思い、追い出そうと非常に頑張りました。
「朝、農場で働きながら目が合うと、黒人は『いい朝だ』と挨拶をしました。すると白人はあいさつどころか、こう叫びました。
「どんな一日になってもあなたとは関係ない。自分の一日は自分で過ごしますので、心配しないでください」。
黒人は、最初は自分を苦しめるその白人を憎んだが、心を入れかえて、その白人のために祝福し、和やかに過ごすようにと祈りました。

 

ある日、黒人の牛一頭が白人の農場に入りました。
白人は黒人に被害補償を要求し、多くの罰金をもらいました。
ところが数日後、白人の数頭の牛が黒人の農場に入っていきました。白人は驚いて息子を呼んでたくさんのお金を持って行って牛を探してこいと言いました。
白人の息子は少し後に牛とそのお金を元に戻しました。白人は不思議に思って訳を尋ねました。
息子は黒人がお金を受け取らないことはもちろん、喜んで許してくれたと言っていました。
それを聞いて、白人は床に伏せました。そして息子と一緒に黒人の家に行き、許してくれと頼みました。

白人は黒人が自分を憎むどころか、祝福し、平和のために祈ったという話を聞いて、感動し、イエス様を受け入れて、一生の友になりました。

 

世の中には多くの人がいます。
もちろん良い人も多いが、様々な環境と傷によって自分だけが分かる自己愛性の性格障害者、自分だけが主人公にならなければならなく、多くの人々の関心を引きたがる演劇性の性格障害者、誰も信じられずに疑う偏執性の性格障害者、低い自尊感と否定的な自我像、不安などで対人忌避症にある人など。多くの人々と私たちは学校や職場、様々な集まりや教会で嫌でも会わなければなりません。

 

どうすればお互いに傷つけないで健康な対人関係ができるでしょうか。

 

どんなドアでも開く'マスターキー'のように大変な人間関係を解き、多くの人から認められ、尊敬される成功的な対人関係のための'マスターキー'があるのでしょうか。

 

そのマスターキーが聖書にあります。

 

[マタイ7:12]
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

 

私たちがあまりにもよく知っている御言葉。この御言葉は普通"聖書の黄金律"と呼ばれる有名な御言葉です。

 

他の人が私にしてほしいもの、もらいたいものがあれば私が先に他の人にしてあげろという意味です。
つまり、接待を受けたければ、先に接待をすればいいのです。尊敬されたければ、先に尊敬すれば良くて、愛されたければ、先に愛せば良いです。


この御言葉は、実は理論的には簡単に見えますが、実際の行動で実践することは簡単なことではありません。

 

自尊心が発動し、自分があの人より上だという意識が定着したため、待遇を受けたがって待遇するのは嫌です。

 

私たちは皆、完璧ではない未成熟な人で、誰でも自己中心的です。だから年を取るほど、高い地位に登ればのぼるほど、「役柄と職級が上がるほど、より仕えてもらいたいと思い、もてなしを受けたいと思っています。
人々が私を認めてくれて, 昔に成功した自分を分かってほしいです。

 

人間関係で最も大きな問題は、自分自身は自己中心的でありながら、自己中心的な他人を嫌う二律背反的な態度です。


学校や社会でもリーダーシップだけを教え、フォローシップは教えません。しかし、フォローのないリーダーはいられないし、自己中心的な人たちを同僚や部下たちが嫌がるので、結局対人関係で失敗してしまいます。

 

イエス様は高くなるほど低くなって他の人に仕えなさいとおっしゃいます。もてなしは犠牲と奉仕と自分を低くして仕えること、愛があってこそ可能なことです。
もてなしは愛の具体的な実践です。愛することで愛され、もてなすことで、人間が暮らす世界を天国にする黄金律です。

 

人をもてなすことによって神様に出会えるし、真の喜びを味わうことができ、天国の報いを願うことができます。
もてなしの結果として祝福が訪れたり、もてなす人生そのものが祝福でもあります。

 

人をもてなしたことのある人は、もてなしてくれる人の幸せを知っています。
愛をあげた事のある人は、愛をくれる人の幸せを知っています。

 

もてなしは天国の報いを受ける祝福です。イエス様は最後の審判の日に私たちが飢えた者に食べ物を与えたのか、喉が渇いた者を飲ませたのか、脱いだ者を着せて病気の者を世話したのかを質問し、もてなすこともなく奉仕しない人々にこのようにおっしゃいます。

 

『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』(マタイ25:45)

 

我々がこの黄金律を実践するためには、他の人の立場をよく理解し、憐れむ心を持って愛する心がなければなりません。

 

今日は「お年寄り」と呼ばれる人々は、自分が知っていることがすべてであるかのように偉そうにして、自分の知識を自慢してこれ以上学ぼうとせず、他の人を教えて指摘しようとします。

 

万王の王であるイエス様は、人間の姿でこの地に来て、罪人となった人間に仕え、何の罪もなく十字架にかけられ、侮辱と羞恥を受けて死なれました。


私たちもイエス様を見習い、人に仕えることでイエス様の真の弟子になることを祈ります。

 

♣仕える事の姿を先に私たちに見せてくださった父なる神様、謙遜で仕える時イエス様の真の弟子になることをもう一度悟らせてくださってありがとうございます。

人をもてなすことで神様が注いでくださる祝福と喜びと心の平安を受けて喜び、見掛け倒しの自尊心、高慢、名誉などを脱いで腰を曲げて仕える人生を送りますように。

他の人の立場をよく理解して、憐れむ心を持って、もてなしたい時は先にもてなして、認めてもらいたい時は先に認める私となりますように。

 

イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。