聖書黙想“3分の奇跡” 2020年8月10日月曜日

🍶2020年8月10日「3分の奇跡」
(1日3分の御言葉黙想を通してあなたの生に奇跡を体験してください!)

タイトル: マラからエリムまで1

 

[出エジプト15:22~23]
モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。

 

❤120年前に韓国に来た若い宣教師フランク·ウィリアムズ夫妻の話です。


フランク·ウィリアムズ夫妻は忠清南道の公州を基盤に宣教師の働きを始めました。
宣教師夫婦は、韓国で初めての息子を産み、韓国の解放を願う意味で、息子の名前を「ウ·グァンボク」と名付けました。その後に娘オリーブも生まれました。

 

翌年2月、フランク宣教師はノンサンでリバイバル聖会を導いて帰る途中、大雨に降られ、ある庵でしばらく休むことになりましたが、その庵は葬儀を行う喪輿を保管する場所でした。
ところでその前日、腸チフス患者の葬式に使った賞与が保管されていたから宣教師は直ちに腸チフスに感染されて世を去りました。
宣教師の妻は急に未亡人になってアメリカに帰りました。

 

ところが、驚くべきことが起こりました。
2年後、妻の宣教師が幼い2人の子どもを連れて再び韓国に帰ってきたのです。
彼女は公州に教会を建てて学校で教えながら以後47年間宣教師の働きをしました。
そんな中、娘のオリーブも風土病にかかり11歳で亡くなって、公州にある霊明の丘に葬られました。

 

公州英明学校は'永遠の光明'という意味で夫フランク宣教師が1906年に建てた学校です。
この学校の母胎は明善学堂ですが、この学堂は柳寛順烈士が勉強した場所です。

 

その後も永明学校は、忠清道の青少年を独立運動の人材として育てる主要拠点となりました。
息子のウ·グァンボク宣教師は、英明学校を卒業した後、アメリカに行って高校と医科大学を終えました。そして彼はまた韓国に戻ってきました。

 

当時、韓国は米軍のハッジ(John R. Hodge)長官が軍政責任者として活動していた時でした。
英語と韓国語が上手だったウ·グァンボク宣教師は、ハ·ジ長官の参謀になって政府樹立に関与することになりました。
ハジ長官は、「ウ·グァンボク宣教師に、韓国を率いる人材50人を推薦してほしい」とお願いしました。


ウ·グァンボク宣教師は、お母さんとこのことを相談し、お母さんはすぐに断食祈祷に入りました。
そうやってお祈りしながら48人の名簿を作成したのですが、信仰の人々の名前で名簿が埋まりました。

 

結局、準備のできたキリスト教徒たちが大韓民国のあちこちに入り、国を建てるようになったのです。
文教部長官は迷信打破に力を注ぎ、国防部長官は軍牧制度を作って軍宣教の土台を築きました。

現在も韓国制憲国会の速記録の最初の章には、独立運動家でありメソジスト牧師でもある李允衡(イ·ユンヒョン)国会議員の祈祷により開会したという事実が記録されています。この時は、韓国のキリスト教徒が全国民の1%にも満たない時でした。

 

神様はご主人と娘の死という大きい試練にも韓国での使命を放さなかったお母さん宣教師とその息子宣教師を通して新しい国の美しい礎を築けるようにしてくださいました。

 

ウグァンボク宣教師は1950年韓国戦争にも将校として参戦して1994年87歳で韓国で神様の所に帰りました。
彼は11歳で死んだ妹オリーブが葬られている英明東山の妹の隣に自分を埋めてくださいと遺言し、今も英明東山に彼の墓が残っています。

 

夫と娘を亡くしても、再び韓国に戻り、教会や学校を建てて47年間教え、宣教師の役割をされた母とウ·グァンボク宣教師の献身に栄光を捧げます。🌱

 

[出エジプト15:26]
そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行い、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

 

神様はイスラエル民を約束の地に導き、二つの信仰体験をしてくださいました。
マラの信仰体験とエリムの信仰体験です。

 

紅海を渡って荒野に入ったイスラエルは3日間も行進しましたが、飲み水を得ることができませんでした。
賛美はため息になり、3日ぶりに水を見つけたのですが、苦すぎて飲めませんでした。
彼らにマラの苦い水を経験させた神様の御心は何だったでしょうか。

荒野のような人生を生きながら、失敗の苦杯を飲まなければならない時があることを教えてくださるためです。
苦痛は神様の試験の教室です。


神様が与える試験は有益で教育的な試験ですが、悪魔が与える試験は破壊的な試験です。
苦痛は神様を分かるようにする'荒野神学校'です。

 

マラに到着したイスラエルは、神様とモーセを恨み、モーセは叫ぶ祈りをしました。
苦痛は神様の祝福の通路です。
苦痛そのものはつらくて痛いので、神様の祝福ではありません。しかし、それによって神様の祝福に向かうことができるようになります。
苦しむ時、絶望で挫折すれば終わりですが、神様の御手を握って進めば、それは洞窟ではなくトンネルになり、明るい光を見るようになります。

 

マラの苦い水を甘い水に変えるために、苦痛が祝福になるためにはどうすればいいでしょうか?明日続きます。(8/9/20主日礼拝の御言葉)

 

♣生きて働かれる父なる神様、ウグァンボク宣教師を通じてマラの信仰体験とエリムの信仰体験を目覚めさせてくださって感謝いたします。

マラの苦難の中でも神様を求め、神様との関係が回復し、癒しを伝える祝福の通路になりますように。

苦難が洞窟ではなくトンネルになり、結局前もって備えてくださったエリムを経験させる通路になりますように。

 

イエス様の御名でお祈りします。アーメン。