聖書黙想“3分の奇跡” 2020年6月9日火曜日

🎹2020年6月09日"3分の奇跡"
(一日3分間の御言葉黙想を通してあなたの人生に奇跡を体験してください!)

 

タイトル:落胆しない土の器2

 

[第二コリント4:7~12]
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

 

❤ある牧師の集まりで司会者がピアノ伴奏が出来る方がいらっしゃれば伴奏をお願いできませんかと尋ねました。
ある牧師が出てすぐピアノ伴奏が始まりました。

 

ところが伴奏のレベルが普通ではありませんでした。
礼拝が終わった後、どんな牧師なのか調べてみた結果、驚くことに視覚障害者の牧師先生でした。

 

その牧師は、"韓国戦争の時、家が爆撃を受け、両親や兄弟をすべて亡くし、自分一人が唯一生き残った"と言われました。
不幸にも両目に大きな傷を負って完全に視力を失い、乞食としてあちこちに連れて行かれなければならなかったそうです。

 

ある日、幼い頃、日曜学校の時に信じたイエス様が夢に現れ、彼の名前を呼びながら"私があなたを手助けする"と語られたとのことです。

 

彼はその約束の言葉をつかんで、それからいつも日曜日になると教会に行って礼拝をし、仲間の乞食も教会に連れて行きました。
彼は"神様が私と一緒におられるのだから、私は何を恐れるだろう。私は何でもできる"という固い信仰で、困難の中でも中学校、高校を卒業し、またその後の大学、神学校を卒業して牧師になったと証しました。

本当に彼の肉体は完全に破れて傷多き土の器でしたが、その中にイエスキリストという宝を入れたので彼は尊い黄金の宝石でいっぱいになった貴重な器になりました。🌱

 

一夜にして親兄弟を失い、視力まで失って生きる望みがなくなって、落胆して倒れるしかない状況でも、主を握って主の愛で恵みを受けられたのです。

恵みとは何でしょうか? その恵みをいつ受けられますか。
恵みを悟るために私たちは砕かれる経験が必要です。そのために必要な四つの霊的道具を見ていきましょう。

 

[第二コリント4:8]
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

 

一つ、苦しめられるのです。
激しい試練と患難のことです。

 

第二に、途方にくれることです。
不確かで先が見えないことを意味します。

[第二コリント4:9]
迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

 

第三に、迫害です。
迫害とは、実質的な逼迫を受けることであり、排斥、冷遇、批判、働きの妨害、名誉毀損、個人·身体的攻撃、故意的な反則···などのことです。

 

第四に、倒されることです。
突然の災難、天災地変の交通事故、コロナ事態、心臓麻痺、重病、暴動、地震、戦争、気絶させるほどの致命的な事件、耐えられない痴呆、などのことです。

 

この四つの砕かれるための道具を通して、私にできることは何もないことを悟り、自分の義が崩れて謙遜を学び、神様の介入を通して恵みを受けることになります。

世の中の人々にとっては、これらのことは否定的なものとして落胆し、倒されますが、クリスチャンには成熟の門、恵みの門に入るきっかけとなります。

落胆して倒れるしかない状況でも、私たちは砕かれることで神様の恵みを受けることになるのです。

我々は、砕かれなければ謙虚になれません。我々が砕かれてこそ、イエス様の命が我々を通して現れます。

我々が砕かれてこそ、新しい目が開かれ、新しい成熟の段階へと進むことができます。

しかし、人を砕こうとするならば、その人は後にみすぼらしく悲惨になります。私たちがまず砕かれなければなりません。

 

私が砕かれたらどうなるのでしょうか。
不思議なことが起こります。

 

私が砕かれるとエネルギーを与える人になって周りの人が生き返ります。自分が砕かれてこそ、他人に霊的エネルギーと力を与えるようになります。

 

[第二コリント4:16]
ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

 

外なる人は自然法則どおり古いものですが、内なる人は霊的、超自然的な法則で砕かれることで人にエネルギーを与える人になり、ますます新しくなります。

 

[ローマ16:3~4]
キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

 

プリスカとアクラはパウロのために、危険までも受けられたとのことです。

パウロが砕きが、彼らに影響を及ぼし、それがパウロにとって大きな力になりました。

私たちが砕かれると霊的な良い循環が起こります。

 

私たちは皆、自分が先に砕かれてエネルギーを与える人、恵みを充満に受ける人になることを祈ります。(6/7/20週間礼拝説教参照)

 

♣愛の父なる神様、落胆させるすべての事の前で、まず聖霊様に問い、"聖書的な照明"と解釈する時、傲慢な罪の本性が砕かれるようにし、"キリストが答えになる生涯"となりますように。

他人を砕こうとする角立つ人生から"自分の義が先に砕かれる謙遜な人生"へと変えられるようになり、内なる人が日増しに新しくなる"霊的な命のエネルギー発電所"として立ち上がりますように。

苦しめられること、途方にくれること、迫害、倒されることの前でも落胆せず、謙遜になることでひたすら神様を見つめ、他の人たちに霊的エネルギーと力を与える人になりますように。

 

イエス様の御名でお祈りします。 アーメン。