聖書黙想“3分の奇跡” 2020年4月25日土曜日

 

🌱2020年 4月25日 “3分の奇跡”
(一日3分ほどで読める御言葉の黙想を通じてあなたの人生に奇跡を体験してください!)

✔毎週土曜日は過去に配信された黙想を再送させていただきます。

 

16年3月7日配信分
「愛は名詞ではなく動詞です」

 

[第一ヨハネ4章7〜8]
7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

 

♥ロン・ハワード監督、ラッセル・クロウとジェニファー・コネリー主演の「ビューティフル・マインド」という映画を紹介します。

この映画は、天才数学者であり、ノーベル経済学賞を受けた米国のジョン・ナッシュ(John Nash)の人生に起こった実話です。

 

1940年代、超エリートたちが集まっていたプリンストン大学院。試験を受けずに奨学生として入学したウェストバージニア州出身の天才、ジョンナッシュの入学にキャンパスは騒ついていました。

 

誰も真似できない優れた頭脳と秀麗な容貌であったと同時に、オタク的な天才であった彼は、あまりにも内向的であり、無愛想にも見え、傲慢と思われるほどに自信にあふれていたことにより、まともに付き合える友を一人も得る事ができませんでした。

 

1949年27ページの論文を発表した20歳の青年ジョンナッシュは、一日で学界のスターとなり、第2のアインシュタインと言われるほどであったが、彼の論文はそれから40年後の1994年にノーベル経済学賞を受ける事になります。

 

彼は数字を扱うことには神がうらやむほど上手だったが、人間関係の関数を把握することにおいては、生まれたばかりの赤ん坊のようにうとかったのです。

 

冷戦時代を生きていた彼は、ソ連の秘密情報を解読する任務を任され、そのことのために、常に監視されているという強迫観念にとらわれながら生きることになります。

結局ジョンは精神分裂症の患者になり、30年間彼の人生は荒廃し、砂漠のような人生となりました。

 

そんな彼がエリシャという女性との初恋に落ち、数学と論理では到底理解できないその愛の微妙な感情についてエリシャにこう尋ねました。

 

“これが愛ですか?これが愛であるのか明確に知る方法を教えてください。確実な証拠の伴うものをです。"

エリシャは答えました。

 

“確かな証拠ですか。はい、わかりました。うーん、では宇宙はどれぐらい大きいでしょうか?“
“終わりがないほどの大きさです。 ”

 

“何故そのことを知っているのですか。”
“資料がそう教えてくれています。”

 

それを実際に見たこともないのにどの様に信じるのですか。”
“実際見た事はありませんが、そうだと信じるんです。”

 

“愛も同じだと思います。”

 

[第二コリント4:18]
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

 

愛は哲学的理論や数学的、科学的論理ではありません。目からスタートして口で告白し、心で行うものです。

 

精神分裂症によって人生奈落の底まで落ちるところでしたが、それを乗り越え、最終的にノーベル賞を受賞することになったのは、間違いなく妻エリシャの献身的な愛の力のゆえでした。

 

ノーベル賞受賞の場面で妻エリシャを指差し、彼は非常に感動的な受賞スピーチを述べます。

 

“ありがとうございます。私はいつも数字を信じて来ました。推論を引き出す方程式と論理です。

一生涯をかけて研究してきましたが、私はこう尋ねます。何がまことの論理であり、誰が理性を決定するのでしょうか?

 

私は今まで物質的な世界、形而上学的な世界、すなわち非現実的な世界の中で埋もれていましたが、このように戻ってくる事ができました。私は大事なものを発見したのです。

 

それは私の人生で最も大切な発見です。どんな論理や理性でも解くことのできない愛の神秘的な方程式です。

 

私はエリシャあなたのお陰でこの場に立ちました。あなたは私が存在する理由であり、私の存在理由の全てです。”

 

映画のタイトル「Beautiful Mind」はまさに愛を意味します。

 

目に見えて確実に証明できる数と論理、数学的、科学的な知識だけを最高に思って一生涯を生きてきた彼が、それら全てを超える人類最高の価値が「愛」であることに悟ったのです。

 

人間にとって最も一般的であり、いまだに最高の価値である愛。このように愛は一人の人間を変えさせることが出来るし、愛の力は本当に素晴らしいものです。

 

クリスチャンでもそうでなくとも、多くの人が愛を歌って愛を語り、また愛があると信じています。

 

しかし、愛の姿を本当の意味で知っている人、その本当の姿を発見する人は多くありません。

 

言葉で発する愛に私たちはあまりにも慣れてしまっているからです。しかし実際愛とは言葉で全てを表現しきれないものであり、行動が自然と伴うという真実な感情です。

 

ハヒョンロク牧師が言われた言葉のように、夢が「名詞」ではなく、「動詞」であるように、愛も「名詞」ではなく、「動詞」であることです。

 

[第一ヨハネ3:18]
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。

 

誰でも愛の種を胸に植えますが、適切な水と栄養を与えることを怠ると、いつの間にか心の庭には雑草が生じ、枯れて、危機が発生し、蘇生する自立力がなくなります。

 

聖書が語る愛、イエスに従う弟子として、我々が実践しなければならない愛とはどんな愛でしょうか。愛するのに難しい人でさえも、どのように愛するべきでしょうか。(来週に続きます)

 

♣愛の父なる神様、私をまず愛してくださり、私のために御子さえも与えてくださった偉大な愛を通して真の愛を学ばさせてくださって感謝します。

頭や知識ではなく、人格的に神様と出会わせてくださり、数字や科学ではない永遠の愛でイエスと出会い、心と思いと力を尽くして主を愛せますように。

苦しみを受けて孤独な隣人を顧みて、イエスの愛で一緒に悲しみ、楽しむ心を注いで下さい。

 

主がくださった愛の第一の戒めを喜んで実践し、御ことばとお祈りで神様の心を抱いて名詞ではない動詞としての実践をし、主の手と足になって、この世界での光と塩の役割を完全に全うする成熟した者となれますように。

 

イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン

 

こちらは韓国で配信されている3分の奇跡を日本語に翻訳したものです。

韓国語のサイトはこちらから

https://band.us/n/a5ae284f0d8aV